世界中のポルノ文学を読んできた仏文学者・鹿島茂氏は、ポルノ文学は文化・文明と深く関係しているという。以下、鹿島氏の解説だ。
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面白いことに、日本や中国、フランスやイタリアなど、食べ物が美味しい国は概ね性文化も豊かである。その点、アメリカは食文化もポルノもお世辞にもレベルが高いとはいえず、画期的だったのは映画『イージー・ライダー』の脚本でも知られるテリー・サザーンの小説『キャンディ』くらいしかない。芳醇な食あるところに芳醇な性の文学も花開く――「ポルノは文明のバロメーター」というのが世界中のポルノ文学を読んできた私の持論である。
そもそもなぜ私がポルノにかくもこだわるのか。例えば、従来の歴史学では「フィクション」を考察対象から除くのが常識だった。しかし、それではどうしても抜け落ちる部分がある。それが「同時代の集団的無意識」で、その時点では誰も意識していないにも拘らず(後世から見れば)明らかにある方向に向いているという無意識が存在する。
この無意識を含めて歴史を捉えるのが、最近の歴史学の主流となりつつある。その点では小説、なかでも性をテーマにした文学及びポルノは生身なだけに偏向度が高く、各時代の無意識を抽出するには格好の対象なのである。
※週刊ポスト2010年10月29日号