10月10日、ソウルで97年に韓国に亡命した黄長ヨプ(ファン・ジャンヨプ。ヨプは火偏に華)・元同党書記が客死した(享年87)。「2万人脱北者の精神的支柱」といわれた同氏の葬儀は、名誉葬儀委員長を務めた金泳三・元大統領によって執り行なわれ、多くの脱北者やその支援者が弔問に訪れた。
金王朝の打倒を訴えてきた黄氏は、亡命後の大半を失意のまま過ごしてきた。黄氏をインタビューしたジャーナリストが語る。
「1998年に大統領となった金大中、そして後継の盧武鉉の両政権は太陽政策(対北宥和外交)を推進したため、黄氏の存在は都合が悪かった。日本や米国のマスコミとの接触は厳しく制限され、彼が強く望んだ訪米もなかなか許されなかった。黄氏は取材の際に小声で“私にとって、韓国は北朝鮮より自由がない”と嘆いたこともありました」
口封じの一環として、“色仕掛け”まで行なわれていたという。脱北者団体の幹部が声を潜めて話す。
「黄先生が不満を募らせないよう、当局が身の回りの世話をする女性を“韓国妻”としてあてがっていたのです。先生は窮屈な生活を紛らわしたい気持ちからか、この女に心を奪われ、彼女の家に通い詰める時期もあった。定かではありませんが、2人の間には子供がいたと聞いています」
※週刊ポスト2010年10月29日号