スマートフォンで「つぶやく」人が増えている。新たなコミュニケーションのツールとなっているのだろうか。そんなコミュニケーションのあり方に、コラムニストの神足裕司氏が疑問を投げかける。
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スマートフォンを使ったツイッターが流行っているけれど、考えてみると本当に不思議なこと。「ご近所付き合い」や「親戚付き合い」はどんどん希薄になっているのに、知らない人と通信するのは盛んになっている。
結局、発言を人に聞いてほしいのではなくて、自分が何をしているかを書きたいだけ。生身の人間から適度に適当な反応が返ってくるからなおいい。そして、反応が返ってくると、自分も返さなきゃならないという循環に嵌って、依存症のようになってしまう。
そんなことするくらいなら、直接友達と話す方がいい。そのうちにそう気付くはずだ。
私は、こうしたブームの何に一番心を痛めているかというと、ブームが終わった時に何も残らないということだ。1990年代後半にアメリカで大ヒットした携帯端末「Plam」もブームが去り、規格が変わったら、記録は全部どこかにいってしまった。あの時熱狂して戯れたものはどこにいってしまったのか、途方に暮れる思いをしなくてはいけない。
スマートフォンブームに踊らされた人たちも、いつか「あんな蒲鉾板みたいな端末に割いた時間を、恋人や家族と一緒に楽しく過ごすこともできたのに」と後悔する時がくる。
※SAPIO2010年11月10日号