伝説の決勝戦から4年――遂に斎藤世代が10月28日、ドラフトを迎える。だが、その舞台に立つ早実Vナインは斎藤佑樹ただ一人。若くして・頂点・を極めた彼らの多くは、そこからの野球人生に「甲子園決勝以上の興奮は得られなかった」と口を揃える。ノンフィクションライター・柳川悠二氏が早実Vナイン27人の「いま」を綴った。
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甲子園優勝を果たした早実の3年生部員27名のうち、実に9名が早大でも野球を続けようとした。しかし、一人また一人と東伏見の早大グラウンドから足が遠のいていき、現在では斎藤のほかに、バッテリーを組んでいた白川英聖、主将だった後藤貴司、甲子園ではベンチ外だったがチーム一の俊足を誇っていた佐藤泰の4名しか残っていない。
早実野球部のマネージャーで、甲子園では記録員としてベンチ入りした及川龍之介は、大学野球部に入部した同級生の半数が辞めた理由をこう推察する。
「どうしても、甲子園決勝以上の興奮は得られない。もちろん、野球を続ける理由としてそれがすべてではないでしょうけど、もう一度、体育会系の新入生のきつい仕事から始まって、レギュラー争いをして、日本一を目指していくというモチベーションの維持が難しかったのかもしれません」
2番三塁手だった小柳竜巳は斎藤と共に早実在学中の07年1月から大学の練習に参加した。だが、4月の入学式を前に入部を断念した。彼は当時、その理由を次のように話してくれた。
「僕にとって甲子園が憧れだった。国体でも優勝して高校野球を最高の形で終えることができて、新たな目標を持たないまま大学の練習に参加してしまった。甲子園という注目される舞台で華々しく野球をやれたことで、燃え尽きちゃったという面はあると思います」
監督の應武篤良に伝えるより先に、斎藤に「辞めようと思っている」と告げた。すると翌日になって〈昨日の話はマジなの?〉というメールが届いた。翻意を促す文面はなかったが、行間から斎藤の願いは伝わってきた。ただ、小柳の決意は揺るぎなかった。翌日、同じ思いで練習に参加していた3番一塁手・桧垣皓次朗と共に、監督室に向かった。
「入学式は早稲田の学生となる正式な儀式。その前に踏ん切りを付けたかった」
大学生活で幅広い世界を見てみたい―そう語っていた小柳は大手レコード会社へ、桧垣は大手保険会社への就職が内定しているという。
※週刊ポスト2010年11月5日号