反日デモの正体とは何か。その裏には中国共産党の「奥の院」で繰り広げられている「権力闘争」がある、と評論家の宮崎正弘氏は指摘する。「上海閥」と呼ばれる江沢民氏の一派が、自分たちの意志で次のトップに就けようとしたのが習近平氏であり、そしてそれを決定的にさせるべく胡錦濤氏一派に圧力をかけたのが、10月に起こった反日デモなのだという。以下、宮崎氏が解説する。
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ここでもう一度、反日デモの起こった場所と日付を確認して欲しい。起きたのは、10月16日。「5中全会」(中国共産党の第17期党中央委員会第5回全体会議)の開催の翌日だ。
場所は、四川省成都、河南省鄭州、浙江省杭州、そして陝西省西安。いずれも日本領事館がなく、駐在日本人がすくない都市ばかりだ。しかもネット上に載ったデモの呼びかけは、集合場所や行進順路まで掲げられているというのに、当局による削除は行なわれなかった。つまり、このデモは当局による「官製デモ」だ。
理由の1つは、ノーベル賞騒ぎのガス抜きである。中国国内では劉暁波を釈放せよという声なき声が充満している。民主化、自由、人権、法治を求める中国の若者の不満の発散場所を人工的につくる必要があった。
2つめの理由は、上海派の陰謀だ。この4つの地域は、いずれも上海閥(江沢民氏を頂点とする上海出身の一派)の影響力の強い地域だ。彼らが裏から手を回し、胡錦濤と温家宝の執行部を反日デモによって突き上げたのだ。足下がぐらついた執行部は、習近平というカードへの対抗が不可能になった。
習近平は中央に登用される前の1年間上海市書記を務めたが、もともと無派閥に近い存在だった。ところが、江沢民の「懐刀」と言われた元国家副主席の曾慶紅が習近平を推したと言われている。そして、上海閥が彼を党中央軍事委員会副主席に就任させるため、反日デモを利用した。そういう術策があったとみるべきだろう。
※SAPIO2010年11月24日号