9月7日に起きた尖閣沖の中国漁船衝突事件では8日に船長、乗組員を逮捕したものの、船員は早々に釈放され、船長も後に釈放された。
この政府の対応に動き出したのが、政治結社・日本青年社だった。日本青年社は、中国人船長の勾留期限が切れる前日の同28日に、漁船をチャーターして尖閣諸島に向けて出港、尖閣の周辺海域で国旗を掲げ、内外に日本の主権をアピールする計画を立てたのだ。
日本青年社はかねてより尖閣問題で行動してきた。1978年4月に中国の武装漁船140隻が尖閣諸島海域に侵入し、威嚇行動を行なったことに対し、同年8月に尖閣諸島に上陸。魚釣島灯台を建設した。その灯台は2005年に国に委譲され、以来、日本政府が維持管理を行なっている。
それだけに海上保安庁との関係は長く、中国の違法操業に強い危機感を持っている地元・石垣漁民の中にも協力する者が少なからずいる。今回の“海上行動”には、地元の漁業組合長も賛同していたという。20隻ほどの漁船をチャーターし、200人規模の参加者が石垣島から出港する予定だった。
地元で計画に協力していた玉城栄一・石垣社友会代表の話。
「日本青年社から要望があり、すぐに八重山漁業組合長や関係者に連絡した。“国に要請しても何もやらない。だから行動を起こさなければいけない”と相談すると、組合長も快諾し、協力する漁船を募ってくれた」
上陸が無理ならできる限り尖閣に近い海域で国旗を掲げることでもよいとのことで、玉城氏は海上保安庁石垣海上保安部とも何度か打ち合わせを重ねた。「どういう海路で行くか、どの領域まで行くか。その間は海保と無線のやりとりをしながら、無理しないように行くという話になっていた」(前出・玉城氏)
海保が黙認する形で、尖閣諸島海域で日本の主権をアピールするこの大規模な計画は、実現に向けて具体的に進んでいたのである。ところが9月23日、玉城氏とともに計画に協力して動いていた石垣市議会議員が、突然、海保の職員から呼び出しを受けた。職員は「この時期に出港させることはできない」といったという。
議員が「なぜ出港させないのか」と詰め寄ると、海保側はこう答えた。「いままでは(海保)第11管区石垣海上保安部として対処してきたが、今回は上のほうから来ているので、我々にはどうすることもできない」
上とはどこだ?―そう議員が問うと、海保側は、「第11管区や国土交通省でもない。もっと上の別の角度から指示が出ている」
と答えた。 後日、海保の職員、市議と会談を持った玉城氏も、「時期が悪い。海保から外れた上のランクがいってきている」との説明を受けたという。
※週刊ポスト2010年11月26日・12月3日号