民主党の渡部恒三氏は1932年福島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1959年福島県議会議員選挙で初当選、1969年に国政に転じ、14期衆議院議員を務める。厚生大臣、自治大臣、通商産業大臣などを歴任し、現在は民主党最高顧問。2003年には勲一等旭日大綬章を受章している。渡部氏は自らの母を語るなかで、こう明かした。
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「最愛の母」という言葉を聞くといつも不思議に思う。誰だって母親はこの世に一人しかいない唯一の存在なのですから、最愛なのは当たり前じゃありませんか。
私の母、渡部キイは、2か月前の9月21日、106歳で亡くなりました。見事な大往生です。 じつを言うと、100歳のときに母は一度倒れています。医師からは「もう駄目だろう」と宣告されるほど深刻でした。年齢を考えても諦めざるを得なかった。
覚悟を決めて葬式の準備までして、弔辞を自民党の森喜朗元総理に頼みました。大げさにするつもりはなかったし、政治家として頼んだのでもない。母校の早稲田大学雄弁会の先輩後輩という関係から、彼をおいて他にないと考えたのです。
森君は快く引き受けてくれました。さらに海外に行くときは必ず電話を掛けてきて、母の様子を訊ねた後、「これから2週間、何かあっても駆けつけることができません。申し訳ありません」とまで言ってくれた。
ところが、驚くことに母は奇跡的に回復して、それから6年も生き永らえることができたんですよ。
そんな幸運があったのに、政治家というのは因果なもので、ほとんど見舞うことができなかった。母の介護を全て引き受けてくれた妻には一生頭が上がりません。
※週刊ポスト2010年11月29日・12月3日号