日本人はなぜ英語ができないのか。散々に言い尽くされたテーマだが、なかなか改善される気配がない。だが、脳科学者の茂木健一郎氏は、日本に「英語ペラペラ」は必要ないのではないかと指摘する。
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日本人が英語下手なのは、つまりは、英語が卓越することに対する需要が、日本の社会には存在しないからではないか。市場経済における、人間の脳の驚くべき適応力を眺めていると、そのように思えてくる。
日本の社会の中に、英語で自分を表現する人に対する需要が本当にあったら、みんなペラペラになっていたはずだ。そうならないということは、つまり、日本の中では英語は要らないというのが本音だったのだろう。
日本人の脳が、世界の他の人たちに比べて、特に劣っているということはない。むしろ、日本は、大変な頭脳大国である。ノーベル賞受賞者も、非西欧諸国の中では例外的な18名を数える。日本人が英語ができないのは、その資質が悪いからとはとても思えない。
日本の中には、「英語ペラペラ」に対する需要が、実は少ない。このような事態に至った理由は、明治維新にまで遡ることができる。先人たちは、西洋に追いつけとばかりに、その学問の言葉をどんどん翻訳して「和製漢語」にした。「科学」、「哲学」、「自由」、「思想」など、現代日本語に欠かすことのできない多くの言葉が、この時期に生み出された。
翻訳作業を通して、日本語がどんどん便利になっていったので、ほとんどの用事は、日本語で事足りるようになった。日本語の宇宙が豊かで複雑なものになるにつれて、特に外国語を学ばなくても、済むようになってしまった。
もちろん、依然として、外国で生まれた新しい概念、考え方を翻訳する必要性はあった。そのような需要は、翻訳家や、「輸入業者」としての学者にゆだねられた。翻訳は、コンピュータでは完全に代行できない、きわめて高度で創造的な営みである。
翻訳に携わる一部の専門家は必要だとしても、それ以外の国民はほとんど外国語に触れなくても済む「国のかたち」ができあがったのである。
※週刊ポスト2010年11月26日・12月3日号