内外の食文化に精通するエッセイストの玉村豊男氏が、日本の食卓の未来を予見するような著書『食卓は学校である』を上梓した。そこには、食を巡る新しい家族の形が描かれている。玉村氏に話を聞いた。
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思えばオリーブオイルなるものの存在を知ったのも、所変われば品変わる食の多様さに常識を覆されたのも、玉村氏の著作を通じてだった気がする。
「それこそ僕らが若い頃はバジリコを大葉だと思っていたし、バージンオイルは薬局で売っていたものね。それが今や普通のスーパーに数種類のオリーブオイルやパスタが並び、僕が食について書き始めた30数年前とは、情報的にも物流的にも隔世の感がある。ただ、最近のグルメ情報はどうもレストラン紹介一辺倒でしょ。ですからこれは、食に関するいろんな考え方を一通り整理しておこうという授業でもあるんです」(玉村氏)
例えば『食の時間』。日本人は食事にかける時間が短いだけでなく、欧州人のそれが〈時系列〉で展開するのに対し〈日本の食事は平面的に同時展開します〉。
日々の食卓でも前菜-メイン-デザートの時系列を死守するフランス人と、ご飯と味噌汁と焼魚を同列に並べる日本人では当然『食の作法』が異なり、その違いは機内食の食べ方やバイキングでの料理の取り方にも表われる。
〈ほな、これも、もろとこ〉と何でも皿に載せるおばちゃんは〈時系列のバイキング料理の皿を、空間展開の弁当箱に〉変えるなど朝飯前だ。
「さらに僕が面白いと思うのが、日本人の〈いっしょ食い〉ね。口にものを入れたままワインを飲むのすらフランスでは無作法とされるのに対し、日本人はご飯を口に入れた上で梅干しや佃煮を放り込み、いい塩梅に〈口内調味〉する。これが欧米人にはできないんですね。とはいえ最近はご飯はご飯でふりかけをかけて食べる〈ばっかり食い〉の若者が増えているらしく、〈世界標準〉に近付きつつあるともいえます(笑い)」(玉村氏)
そうした時代の変化にも氏の態度は一貫していて、どちらがいい悪いではない。
「そもそも僕がパリに留学したのは言語学を学ぶためだったんだけど、言葉も食も同じでね。国が違えば発音も文法も無限に違い、食べ物も地域によって全く違う。でも誰かと通じ合いたいという思いは同じだし、美味しいものを食べると幸せそうな顔をするのは世界共通。つまり言葉も食も、それが人間の営みである以上、無限に違って無限に同じ。だから面白いしロマンチックなんだと僕は思います」(玉村氏)
※週刊ポスト2010年11月26日・12月3日号