1940年代後半から1950年代前半にかけて、戦時の日本軍でひそかに同性愛を経験した男性らが新橋や銀座にゲイバーを構えるようになった。物珍しさもあって話題となり、ゲイたちは財界人の座敷にも呼ばれるようになった。当時のゲイたちは、日本舞踊や三味線などの“芸”事も身につけていたという。
そして1957年、ゲイの存在を広く全国に知らしめるスターが登場する。当時22才だった丸山明宏(後の美輪明宏)だ。美輪はレースやサテンの大胆なコスチュームを着こなし、フランスのシャンソン『メケ・メケ』を歌った。「シスターボーイ」と呼ばれ一世を風靡する。
自身もゲイで、15年以上前から講演や執筆活動を行い、同性愛者たちの相談受付をしている伊藤悟さんは、美輪の存在をこう語る。「まさに日本のゲイの世界のパイオニア。同性が好きだと公言した日本で最初の芸能人でした」
しかし、男にしてバッチリと化粧をする美しい美輪の登場に世間は戸惑った。初めは注目が集まったものの、次第に「男らしくない」と非難の声が強くなっていった。化け物扱いされ、美輪は見も知らぬ人から石を投げつけられたこともあったという。
※女性セブン2010年12月2日号