映画作家の大林宣彦氏は1938年広島県尾道市生まれ。『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』の“尾道三部作”のほか、日本のふるさとを描く作品を数多く撮り続けている。母について語るなかで、こう明かした。
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中学生の時に学校でピアノ発表会がありました。僕はショパンになりきろうと思い母に相談しました。肺を病んでいたショパンが吐血しながら演奏したという話を映画で見ていたので、「自分も同じように弾くにはどうすればいい?」と尋ねたのです。母は「水で溶かしたトマトケチャップを吐きながら弾いたらどう?」と教えてくれました。嬉々としてそのアイデアを実行し、グランドピアノは無慚に壊れました。
母が死んだ後、意外なことを知りました。発表会の直前、母は僕がピアノを壊すかもしれないがあの子の成長のため許してやってほしい、と学校にお金を置いて帰ったというのです。
医家に生まれた母は、医者と結婚するか、自ら医者になるかという選択肢しかありませんでした。好きなことのできる世の中だったら、きっと芸術の道に進んでいたはずです。だから、息子にはやりたいことを思う存分やらせようとしたのです。子供の未来を潰しては「もったいない」と……。
今でも振り返ればいつもそこに母がいるような気がする。だから僕は淋しくないのです。
※週刊ポスト2010年11月26日・12月3日号