世界の資源獲得戦争は、石油や天然ガス、あるいは今話題のレアアースやレアメタルにとどまらない。我々の生活により身近な「水」をめぐって、熾烈な争奪戦と、新たなビジネス競争が繰り広げられている。日本の「水」をめぐる実態を大前研一氏が解説する。
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日本国内には「水利権」(河川や湖沼などの水を排他的に取水して利用できる権利)がある。
日本は世界でも稀に見る「水の自給自足」ができている国だ。夏になると、よく福岡県福岡市や愛媛県松山市、香川県高松市は水不足になるが、山の反対側の大分県や高知県では水が余っている。しかし分水嶺と水利権の問題があるため、県や市町村という小さな単位にこだわって一切、水を回そうとはしない。
まさに分水嶺が運命の分かれ目になっているわけだ。これは飛鳥時代の大宝律令(701年)にまで遡る問題なのだが、そんな狭い了見はもう捨て去って、水道事業を集約して広域化し、少なくとも道府県単位、できれば道州単位に再構築すべきだと思う。
しかも日本の水は現在、全体の65%が農業用水、15%が工業用水、そして20%が水道用水(生活用水)として使われている。そのうえ最も上流の美味しい水が農業用水、次が工業用水となり、水道用水は最も下流の汚いところで取水している。基本的に水利権は江戸時代の「(士)農工商」の身分制度そのままの序列なのである。
たとえば、東京都の水道水は主に利根川の分流である江戸川を中心に取水して浄水しているが、利根川の上流で取水すれば、JR東日本が各駅構内で販売しているミネラルウォーター『大清水』(上越新幹線の大清水トンネル開削工事の際に湧き出た水が原料)と同じ美味しい水が水道で味わえるようになる。
利根川の上流から東京都内までパイプを引いても、長さはせいぜい150キロメートルぐらいだ。アメリカ・カリフォルニア州は北のシエラネバダ山脈から水のない南のロサンゼルスまでアクアダクトと呼ばれる水路を1500キロメートルも建設して水を引き、その間にあるサンワキンバレーという砂漠を農地に変えた。それに比べれば150キロメートルの水道管敷設は簡単なことである。
※SAPIO2010年12月15日号