「影の首相」と呼ばれて外交と内政を取り仕切ってきた仙谷由人氏だが、尖閣ビデオ流出事件で集中砲火を浴び、いまや崖っぷちに立たされている。仙谷氏の保身工作の極みが、柳田氏の辞任に乗じて法務・検察を掌中に収めたことだった。
柳田前法相の発言は軽率という批判は免れないが、自民党政権下でも歴代の法相が「個別の事案についてはお答えを差し控えます」という答弁を繰り返していたのは紛れもない事実であり、辞任に値するほどの問題発言だったのか、いずれ歴史家の検証がなされるだろう。
問題は、大メディアの「法律の素人では法相は務まらない」の大合唱が、法務・検察の思うつぼだったことだ。柳田氏は「法律の素人」には違いないが、検察改革には非常に前向きだったことは、記者クラブ・大メディアでは全く報じられない。大阪地検特捜部の証拠捏造事件で「検察の在り方検討会議」を発足させ、郷原信郎・名城大学教授やジャーナリストの江川紹子氏ら検察捜査に批判的な委員を起用した。
「柳田さんは大阪と名古屋の特捜部を廃止し、東京地検特捜部は最高検直属の組織にして、他の捜査機関に先駆けて取り調べの全面可視化を義務づけるという改革を目指していた」(民主党可視化推進議連幹部)
検討会議のメンバーである江川氏も、「検察改革は『素人だからこそできる』という面も大きかったはず。法の専門家が大臣になれば変革を望まない検事は大喜びするだろう」(毎日新聞11月22日付夕刊)と、辞任に懸念を語っている。
この問題では菅―仙谷官邸が、「辞任の必要なし」という輿石東・参院議員会長を押し切って柳田氏に詰め腹を切らせたことで官邸・執行部に亀裂が入ったが、最後に“漁夫の利”を得たのが仙谷氏である。
「総理は後任に、小川敏夫・法務副大臣の昇格を考えた。が、仙谷さんが難色を示してすんなり決まらなかった」(菅側近)
それが「仙谷法相」誕生秘話である。が、柳田氏を問責逃れで更迭したのに、後任にやはり問責問題を抱える仙谷氏を据えるなど説明がつかない人事だった。最初から仙谷氏が「法務行政」のトップに座るための更迭劇だったことが透けて見える。
※週刊ポスト2010年12月10日号