新たな核開発計画、韓国への砲撃とこのところ北朝鮮の国際社会への挑発が目立っている。ジャーナリスト、恵谷治氏が10月10日に行われた平壌での軍事パレードの分析から北朝鮮の内政・外交の変化を読み解く。
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去る10月10日、平壌の金日成広場で朝鮮労働党創建65周年閲兵式(軍事パレード)が行なわれた。その2週間前、“金氏朝鮮”3代目となる金正日の三男・金正恩のお披露目があったばかりで、軍事パレードは18年ぶりに、戦車やミサイルなどの主要兵器が登場する盛大なものとなった。
今回のパレードでは、大量の戦車部隊を登場させただけでなく、朝鮮中央テレビなどで生中継したのである。
過去に北朝鮮でテレビの生中継が行なわれたのは、たった3回しかない。
●2008年2月26日、ニューヨーク・フィルハーモニック・オーケストラの演奏
●2009年6月6日、サッカーワールドカップ(W杯)アジア地区最終予選での北朝鮮・イラン戦
●今年6月21日、サッカーW杯南アフリカ大会での北朝鮮・ポルトガル戦
最後のポルトガル戦では、北朝鮮が0対7で惨敗したが、後半に4点目を失った時点で、生中継は突如中断された。
それほどリスクの高い中継が、今回なぜ断行されたのか。
今回は、多数の外国メディア(18社95人)を招いており、仮にパレード中に不測の事態が起こっても、現実問題として中断することは不可能だったと思われる。つまり金正日は、戦車部隊を登場させても軍事クーデターなどの不測の事態は絶対に起こらないと判断した上での生中継だったわけである。
こうした事実は、金正日が「軍に対する統制」に絶大な自信をもっていることを物語っている。と同時に、軍に十分な足場がない正恩への世襲を進める上で、今回の軍事パレードを大々的に開催し、世界にアピールすることが、いかに重要視されたかがわかる。
しかし、1992年に行なわれた人民軍創建60周年軍事パレードに比べて、格段に財政困窮している中で、盛大なパレードを実施するための“苦心の跡”も、随所に見受けられた。
1992年のパレードの分列行進は42個方隊(1万2133人)だったが、今年は34個方隊(1万3人)と2000人も少なく、空軍機による閲兵飛行も行なわれなかった。
また、大軍楽隊も1992年には1201人だったのに対し、今年は898人と縮小された。そして、1992年には車輛兵器の登場後、労農赤衛隊や赤い青年近衛隊など11個の民兵部隊(トラック143台)が続いたが、今年は「朝鮮人民軍陸海空各部隊と朝鮮人民内務軍・労農赤衛隊・赤い青年近衛隊閲兵式」というのがパレードの正式名称だったにもかかわらず、1992年のような大量の民兵トラック部隊は登場せず、1992年には2時間かかったパレードが、今年は1時間ほどで終了した。
パレードのメインである車輛兵器に関しては、1992年は27個部隊のうち4個が、コマンド(特殊部隊)などが乗ったトラック部隊だったが、今回は28個部隊のうち7個がコマンドなどのトラック部隊で占められた。
他には装甲車(4種)、戦車(8種)、多連装ロケット砲(4種)、対対地ミサイル(4種)、対空ミサイル(1種)で、1992年当時に登場した自走砲や自走対空砲などは割愛された。
今回の大きな特徴は、パレードの生中継と同時に、1992年の録画中継では意図的に画面から外され、公開されなかった戦車やミサイルなど主力兵器が、全て映し出されたことである。1992年当時と異なり、現在では平壌に欧州各国の駐在武官が常駐するようになっており、登場兵器を映像で非公開にしても意味がないと悟ったからだろう。
※SAPIO2010年12月15日号