脳科学者の茂木健一郎氏が、今をときめく日韓のアイドル、AKB48と少女時代を比較している。以下、茂木氏の談。
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先日、AKB48の生みの親、秋元康さんにお目にかかる機会があった。以前から、いろいろな場でご一緒している。「こんにちは」と挨拶した後で切り出した。
「秋元さん、少女時代のこと、どう思います? AKB48としては、どのように対抗して行きますか?」
秋元さんの答えが、面白かった。「少女時代」は、みんな同じように整った顔立ちで、すらりとした肢体を持っている。これには、日本ではとても対抗できない。彼女たちは、小さな時から選抜され、トレーニングを受けてきた。そのようにして作り上げられたアイドルには、日本のシステムではとても対抗できるものではない。
AKB48の魅力は、むしろ「不揃い」なところにある。一人ひとりの個性が違う。踊りや歌も、完全に同調しているとは限らない。でも、そんなところに惹きつけられるのが、日本の美学というものではないか。秋元さんの答えを聞いて、「ああ、そうか!」とひらめいたことがあった。日本独特の、「不揃い」の美学についてである。
ヨーロッパなどでは、会食の際の食器は揃えるのが常識とされている。同じ模様の器でないと、何となく格式がないように思い込んでいる。日本ではそうではない。懐石料理の際にも、形や色、質感がばらばらの様々な器が出てくる。列席者の間で同じにする必要すらない。「みんな違って、みんないい」が貫かれている。
伝統の京菓子でも、わざと形や色を少しずつばらけさせるのだという。同じに作ろうと思えばできるが、敢えてそうしない。自然の中のものは、もみじでも何でも、一つひとつ形が違うでしょう。京菓子の老舗「亀屋末富」の御主人、山口富蔵さんはそう言われた。「少女時代」は揃っていて確かに素晴らしいけれども、AKB48には、日本独特の美学がありますよ――秋元康さんの伝えたかったことは、そこだったのであろう。なるほどと思った。
グローバリズムの時代。競争することは必要だが、浮き足だって自らを見失っては仕方がない。AKB48の魅力を見直すことから、「ガラパゴスの逆襲」が始まる。
※週刊ポスト2010年12月10日号