『野村の実践「論語」』(小学館刊)を上梓した野村克也氏が自身が経験した人材育成の難しさを語る。
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ヤクルトの監督になったとき、池山隆寛は聞く耳など持たない、甘やかされた問題児という先入観を持っていた。最初にクギを刺した。「おまえブンブン丸とかいわれていい気になっているんじゃないか。自分はいいかもしれんが、チームには迷惑な話だ。野球を私物化するんじゃないよ」池山は神妙に聞いていた。
のちにヤクルトが優勝した。若松勉監督が「勝てたのは池山のおかげです」と語っていた。私はうれしかった。池山が大きな人間に成長して、チームのために率先して働いた。だから監督から感謝を口にされた。
広澤克己も好き勝手なプレーを繰りかえしていたが、心を入れかえて彼も四番の重責を果たした。古田敦也も私の話を身にして急成長した。私はヤクルトに「人を遺すことができた」と自負した。
しかし、マー君(田中将大)の育成は失敗しました。反省しています。大人扱いというか、甘やかせすぎた。しっかりとしてると思っていたがまだまだ子供だった。
監督をやってきてつくづく、何がすべての原点かに気がついた。〈感謝〉です。マー君は私が辞めるときにお世話になりましたの挨拶や電話一本もなかった。まず親に対する感謝から感性が磨かれる。
熱心な親はキャンプや試合を見に来る。だが、監督にあいさつに来る親はほとんどいない。選手もそうだが、親も感謝の心が足りなくなっている気がします。こんな時代だからといっていていいものか。子供をみれば親がわかる。
親が子どもを教育できない時代になっているのか。環境が人を育て、地位が人をつくるとはよくいったもんです。
※週刊ポスト2010年12月10日号