バラエティー番組に引っ張りだこ、どころではない。最近行われた講演会では、席数の約7.5倍、約3000人の応募があったという。思わず笑っちゃうあの話し方で大人気の戦場カメラマン・渡部陽一氏(38)だが、なんと1年前までは食べるにも事欠く日々だった。
プロの戦場カメラマンとして周囲から認められたのは2001年、渡部氏が撮ったソマリア内戦の写真が、週刊誌のグラビアページに掲載されたことだ。そして、2004年には日本人初となる米軍従軍取材に成功する。
しかし、生活は苦しかった。渡航費や滞在費用、現地ガイドへの報酬など30万円もの取材費はそのほとんどが自分持ちで、撮った写真が売れなければ赤字になってしまう。
「渡部さんは写真を独学で始めたそうで、なかなか売れなかったんです。スチール写真にこだわっていたんですが、動画はテレビ局が高く買ってくれるのでビデオカメラを回していることも少なくありませんでした」(渡部氏と親しいカメラマン)
当時、渡部氏は横浜市内の6畳一間の古いアパートにずっと住んでいた。
「玄関に洗濯物を干しているもんだから、部屋にはいるにはそれを暖簾のようにくぐらなければ中にはいれなかった。部屋には必要最低限のものしかなく、あるのは陽一が好きだったドストエフスキー全集くらいでした」(前出・カメラマン)
そして昨年、10年近い交際を経て妻とゴールイン。2LDK家賃11万円のマンションに引っ越した。結婚はしたものの、渡部氏を取りまく状況は変わることはなかった。長びく不況で、撮った写真を発表すべき雑誌も減っていた。
「去年の冬にアフガニスタンに取材に行ったんですが、そこでの写真が全く売れなかったんです。“生活が苦しくて、夜も寝られません”と嘆いていました。陽一はあのとおり喋りが面白い奴ですから、テレビに出てどんどん顔を売っていくのもいいんじゃないかと、みんなで勧めたんです」(前出・カメラマン)
※女性セブン2010年12月23日号