徳川家の歴代将軍の中でも5代目将軍・綱吉は、様々な意味において異彩を放っている。犬をはじめとした生き物を過度に大切にする「生類憐みの令」はその顕著な例だが、彼の女色漁りもずいぶん常軌を逸していた。
綱吉は臣下だった牧野成貞の妻阿久里に手を出しただけでなく、その娘安子も無理やり自分のものとした。安子には婿の成時がいて彼は憤激のあまり割腹自殺を遂げている。
さらに綱吉は、腹心の柳沢吉保の側室染子もわがものとした。吉保の嫡男吉里は、本当は綱吉の子ではないかという話が江戸の町を駆け巡る。東京大学史料編纂所の山本博文教授の話を聞こう。「吉保が綱吉の寵愛を得て11万石の加増を受け、さらには松平の姓と『吉』の字まで賜るという、異例ずくめの大出世を遂げたのは事実です。そこに染子の件が絡んで御落胤スキャンダルが流布したのでしょう」
巷間では、染子が綱吉との寝物語の際、吉里に甲府と駿府の2か国計100万石をねだったばかりか、次期将軍の座も所望したとされる。これを知った御台所の鷹司信子が、天下簒奪の危機とばかりに綱吉を大奥の「宇治の間」で殺害、自らも自刃して果てた――山本教授は断じる。
「確証がなく推測と邪推に過ぎないものの、綱吉の性的乱脈、彼と信子の死期が極めて近いのは事実です」
以来、宇治の間の廊下には幽霊が出るという噂が絶えなかった。十二代家慶がここを通ったとき、平伏する女中を訝り、「あれは誰か」と尋ねたがお伴には見えない。間もなく家慶は亡くなった……という俗説まで定着してしまったのだった。
※週刊ポスト2010年12月24日号