日本史上最強のタフネゴシエーターは誰か? SAPIOが識者50人にアンケートした結果、第1位になったのは小村寿太郎だった。日露戦争前後の日本外交を担った小村の交渉術を日本政策研究センター主任研究員、岡田幹彦氏が解説する。
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日露戦争前後の日本外交を担った外相小村寿太郎は他に類を見ない外交家であった。今回の尖閣事件で醜態を晒したわが政府の外交ぶりは交渉力絶無の無惨な屈従土下座外交の見本だったが、小村の外交はその対極にある模範であり交渉の手本であった。
明治日本最大の外交課題は条約改正と朝鮮問題である。明治政府は徳川幕府が欧米諸国と結んだ不平等な修好通商条約の改正に苦悶した。治外法権を撤廃したのが陸奥宗光外相であり、関税自主権を回復し条約改正を完成したのが小村外相で明治44年(1911年)である。
もう一方の朝鮮問題は条約改正に幾層倍する難事であった。これよりわが国は日清、日露の二大戦争をせざるを得なかったからである。日清戦争時の外相が陸奥宗光である。この時、小村は陸奥に見出され駐清代理公使となり、陸奥を補佐して活躍した。陸奥は時局を見通す小村の見識と洞察力に感嘆して、「小村は何より見通しが早くそれに正確だ。殆ど誤謬もないようじゃ」と語っている。
小村が北京にいた時、面白い話がある。ある宴席で清国きっての有力者、李鴻章が列国公使の居並ぶ中、小村に「こう見渡したところ各国公使中閣下が一番小さくいらっしゃる。貴国人はみんな閣下のようにそんなに小さい人ばかりですか」と言い放った。日本を弱小国と蔑み衆人環視の中で小村を侮辱したのだ。こうした振る舞いが今も変わらぬシナ人の習性である。
小村は即座に切り返した。
「いやわが国にも閣下の様に体の大きな男はおりますが多くは愚鈍の者です。わが国には、大男総身に知恵が回り兼ねという諺(ことわざ)がある位で彼らはとても通常の仕事に耐えませんので、やむなく相撲取りに仕立て渡世の道を立てさせております」
李は返す言葉なくきまり悪そうに引き下がった。今日の共産シナのわが国への侮辱と敵意に満ちた威嚇外交に対してもみ手してひれ伏す民主党政府の面々に、小村の爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。
※SAPIO2011年1月6日号