「経営の神様」・松下幸之助氏が「無税国家論」を提唱したのは1970年代だった。1979年11月に行なわれた講演では、このように語っていた。
「国民は高率の税金に苦しんでいる。にもかかわらず政府は財政窮迫し、赤字国債を発行して国費に充てているという前途暗澹たる状態である。しかし、今から120年を使えば、日本は無税国家に変われる。この20年で研究し、その後の100年で余剰金を積み立てて運用すれば、積立額は膨大になり、その運用益だけで予算を賄える」
松下氏はその具体的手法も紹介している。まずは、税金のムダ遣いの元凶である国家財政の単年度制を廃止すること。役所では割り当てられた予算を消化しないと、翌年度にその分が削減されるため、年度末になると、「予算消化のための仕事=税金のムダ遣い」が行なわれる。
そこで、通年度主義に切り替えれば、ムダを削ることができる。そうすれば年間の予算のうち、1割は余剰金として積み立てることが可能になる。それを当時の利回りの5~6%で運用すれば、100年後には国民は税金を払わなくて済む―と唱えたのだ。20年以上にわたって松下氏の秘書を務めた参議院議員の江口克彦氏がいう。
「高過ぎる税金のもとでは、勤労意欲は失われ、国民の生産能率は減退する。また、納めた税金がいつ、どこに、いくら使われたのか具体的にわからなければ、税金に対する不信感が生まれる。その結果として国家社会に対する義務感が弱まり、遵法精神や一般の道義心さえも薄れさせ、最後に国が滅んでしまう。無税国家論は幸之助さんのそうした問題意識から発案されたのです」
松下氏は、官僚の予算節約のインセンティブも忘れない。予算が余ったら、その20%を公務員のボーナスにして、残りの80%を積み立てていけばいい、とも提案している。併せて、松下氏は負担と受益を明確にするため、中央集権から地域主権への転換も主張していた。
「各地域が租税権を含めた主権を持ち、地域ごとに政治のあり方に差が生じることを認める。身近なところで税金が使われれば、住民は喜んで税金を払うようになるはずだと、幸之助さんは考えていました」(同前)
30年が経ったいまでも「経営の神様」の国家論は傾聴に値する。
※週刊ポスト2010年12月24日号