SAPIOが識者50人に実施した最強のタフネゴシエーターは誰か、というアンケートで11位に選ばれたのは経営の神様こと松下幸之助だった。企業同士の交渉でもいかんなく発揮されたその手腕を経済ジャーナリスト、片山修氏が解説する。
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1952年(昭和27年)、松下幸之助は迷っていた。
共同出資子会社、松下電子工業の設立にあたり、オランダ・フィリップスは、イニシャル・ペイメント(初期契約料)55万ドルに加え、技術指導料として売り上げの7%を求めてきた。
松下電子工業の「株主協定」では、経営責任はすべて松下が担い、技術の責任はフィリップスが担うという条件だった。交渉の席で、当時フィリップス副社長のO・M・Eルーパートは幸之助にこう語った。
「われわれが、松下電器との提携に応じようと考えたのは、われわれの技術を受け入れる力が松下にあると思うからです。松下さんは提携にあたって制約が多いと嫌な顔をされますが、それはお互いが成功するための制約です。成功したら7%なんて安いものではないですか」
つまり、わがフィリップスと提携すれば必ず成功すると、大見得を切ったのだ。だが、幸之助は負けていなかった。
「技術指導料を7%とるといいますが、経営の責任は松下です。だとすれば、経営指導料をいただかなければいけません」
幸之助は、ルーパートに対し、松下電器と契約するならば、フィリップスはこれまで契約したどの会社よりも大きな成功を収められる。松下の経営指導にはそれだけの価値があると、啖呵を切った。
そのうえで、「松下の経営指導料を3%、フィリップスの技術指導料を4.5%としてはどうか」と逆提案する。
「技術指導料」の要求に、「経営指導料」の要求で切り返す。タフネゴシエーターの本領発揮だ。
驚いたのはルーパートである。「いまだかつて、経営指導料などという言葉は聞いたこともない。ましてや払ったこともない」と目を白黒させる。それはそうである。幸之助も、初めて提案したことだった。腹のすわった、みごとな交渉術である。
※SAPIO2011年1月6日号