SAPIOが識者50人にアンケートした「日本のタフネゴシエーターは誰か」で文芸評論家の富岡幸一郎氏はノーベル文学賞作家、川端康成の名をあげた。ノーベル文学賞授賞式の名スピーチこそタフネゴシエーターに値すると指摘する。
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川端康成をタフネゴシエーターと呼ぶのには違和感があろう。しかし、日本史上ということであれば、あえてこの作家の名前を挙げたくなる。
昭和43年12月、ストックホルムでのノーベル賞授賞式において、羽織・袴姿のその白髪痩躯(はくはつそうく)の川端は、まさに他の受賞者を圧して異彩を放っていた。その胸に日本国の文化勲章を帯していたことも忘れてはならない。
つまり、川端はひとり日本文学を代表してではなく、文字通り日本文化を、そして日本という国を代表して世界の晴れ舞台に立ったのである。
さらに受賞記念の講演「美しい日本の私」は、明恵、良寛、道元、一休らの歌を紹介しつつ、禅と自然と三十一文字(みそひともじ)の言葉を通して「日本の真髄」を伝える、驚くほど深く豊かな、そして平易な内容であった。それは川端の文学を直接に読んでいない西洋人にも、強烈な印象を与えた。
外交が言葉による交渉であるとすれば、まずお互いの立場と対立点を明確に述べる必要がある。川端はこの講演の最後で、日本あるいは東洋の「無」と、西洋流の虚無(ニヒリズム)とを比較し、その「心の根本がちがう」ことを見事に語っているのだ。みずからの国柄をこれほど簡潔かつ正確に世界に向かって発信した例はないだろう。
日本文化の本流たる「手弱女(たおやめ)」ぶりは、単なる軟弱さや優しさや友愛とは似て非なる、この国の長い歴史と伝統によって育まれた、強い妥協なき精神であることがよくわかる。
この一点でも、川端の講演は、日本に大きな国益をもたらし続けているといってよい。
※SAPIO2011年1月6日号