12月26日、最後の「M-1グランプリ」に挑む笑い飯に、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が密着。二人があれほどの実力があるにもかかわらず、全国的な大ブレイクをまだ果たしていない理由を説明する。
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笑い飯はM-1によって一躍全国区のコンビとなったが、その一方で全国ネット番組のレギュラーを手にするまでにはいたらず、とりわけ2006年から2009年にかけてはテレビの仕事が激減していた。その間、テレビ業界ではコント番組やショートネタを披露する番組が活況を呈していた。彼らがレギュラー番組を手にしていくためには、そういう人気番組に出演するのが近道だったはずだ。
だが彼らは出演しなかった。なぜか――哲夫の答えは、漫才に対するこだわりを感じさせた。
「あえて名前は出しませんが、クソもミソも一緒に出す番組が多すぎるんですよ。もちろんしっかりネタ作りしている芸人さんもいるんですが、無理矢理テレビサイドが作り上げた芸人もいる。僕らは作り上げられた芸人やない」
最後のM-1で優勝できれば、人生が変わる。お笑い界が変わる。そう確信している。
「具体的な話をしますとね、今はね、天然芸人いうて、すべり芸が多いんです。あと芸人が他の芸人をいじる内輪ネタ番組も多い。それに一般の人は笑ってしまってる。僕らが優勝できれば、クリエイターとして作り込んだもので、一般の人が笑う時代がくると思います」
相方・西田幸治はお笑い界の現状に危機感を抱く。
「今、関西にはお笑い番組が少ない。それがつらいっちゃつらい。人気のあった東京のお笑い番組も急にしぼんでしまった」
決勝進出8組が決まった直後、M-1を主催する吉本興業と朝日放送は若手発掘と漫才文化の発展という目的はある程度達成できたとして、今年の大会でM-1を発展的解消すると発表した。
「残念。M-1を目指して芸人になった子らもいる。それに僕らが今年優勝して、のちに審査員に天下りするという計画も台無しになってしまった」(西田)
「ショック。決勝に今年も残ることができたうれしさなんてすぐに吹っ飛んだ。でもこれで、自分らが優勝するお膳立てがまたできあがったとは思いました」(哲夫)
10年目の正直をものにしようが、彼ららしく無惨に散ろうが、“敗れざる漫才の革命児”として、漫才の歴史に夢舞台「M-1」と笑い飯の名は刻まれる。
※週刊ポスト2011年1月7日号