1970年代に湧き起こった空前のボウリング大会で、国民的アイドルだった『さわやか律子さん』こと中山律子(1942年生まれ)。その後の人生を彼女自身が振り返った。(週刊ポスト2002年8月30日号より)
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「ボウリングブームの一番華やかな時代を経験した者として、今は競技の振興と後輩たちのために奔走しています」(中山)
1969年、女子プロボウラーの1期生としてデビュー。翌年、女子初のパーフェクトゲームを達成し、人気・実力とも頂点に。本人はこう振り返る。
「会社にはサイン色紙が400~500枚山積み状態。大会会場に人が集まりすぎで中止になったこともありました」
熱狂的なブームが冷め始めた1974年に結婚、女児に恵まれた。さらに肩の故障などで、1980年代はボウリングを休んだが、1992年に復帰。
「ただ、故障して40歳を過ぎてからは満足に投げられたことはないですね。それでも“ボールの重さを使って投げる”技術が分かってきました」
1998年7月、JLBC(ジャパン・レディース・ボウリング・クラブ)の会長に就任。ボウリング指導と講演活動で全国を駆け回った。ちなみに家族でボウリングをすることはほとんどないという。
「主人も、私とやると負けるのでもっぱらゴルフ。でも、ボウリングのほうが安い(笑い)し、奥が深いので老若男女どなたでも楽しめますよ」
相変わらずの“さわやか律子さん”であった。