2000年に自自公連立が崩れてから今日までは、政権に執着する自民党と、政権党に脱皮できない野党のもどかしい争いが続いた。当時の『週刊ポスト』が小沢一郎氏にインタビューした時の小沢一郎「語録」。1990年に初めてインタビューを行って以来、小沢研究の第一人者、渡辺乾介氏による独占インタビューは実に22回にのぼる。
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自民党は、小泉内閣成立で息を吹き返した。小沢氏はその人気はイカサマだと言い放った。「小泉さんは、口では改革といっているけれども、自民党全体から見ると、小泉さんが改革を標榜する月光仮面の役割をして、そのためのセリフを発することは許されている。しかし、実態は権力維持のための役割分担なんだね。当初からわかっていた構図なんだけれども、最初は、一般の人はわからなかった」(2002年2月22日号)
そして見事に予言した。「辞めざるを得ないんじゃないですか。だけど、それがイコール、多分、自民党政権の終焉だと僕は思うけどね。まァ、一時的に、じゃァ代わりに誰やれとか、何やれとかなるけど、経済のクラッシュが起きたときに、もはや自民党では絶対に対処できない」(2003年10月3日号)
小沢氏の読み通り、小泉氏が辞任した後、自民党は迷走を続けた。安倍内閣発足直後の評価はこうだ。「小泉氏が辞めたのも、彼はなかなか利口だから、この辺が限界だと思ってのことだろう。安倍さんは、そういうしたたかさ、無責任さというものが小泉氏ほどないから、この政権は大変なことになると思う」(2006年10月27日号)
そして福田内閣で起きた「大連立問題」直後、連立協議は民主党の政策実現のためだったと述べたインタビューで、民主党の力不足も嘆いていた。「民主党ではみんな権力の座にいたことがないから、権力というものがどういうものだかよくわからないんだ。農業でも、年金でも、子育てでも、高速道路でも、財源はどうするんだといわれると、ちょっとうろたえちゃうんだね。僕は『心配ない、金なんぞ何ぼでもある』といっている。金の遣い方は結局、選択の問題、政策の優先順位ですよ」(2007年12月7日号)
※週刊ポスト2011年1月7日号