姑が嫁に味付けの文句を言うのはよくある話だが、嫁イビリがすぎると思わぬ復讐も……。岐阜県32歳の主婦・山崎良子さん(仮名)のエピソード。(女性セブン1988年7月7日号より)
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私の8年間の結婚生活は、姑との戦いそのものでした。いや、それも“うどん”をめぐる葛藤の日々でした。
麺類好きの姑は、明けても暮れてもお昼はうどん。その味つけをめぐって、耳にタコができるほどの罵詈雑言を浴びせられました。
関西生まれの姑は、私のつくるうどんのかけ汁が気にいらず、「ま~た、こんな辛い汁つくりおってぇ、まったく、馬鹿につける薬はない!」
「うどんもようつくれん嫁は人間のくずや! あんた、ほんまに高校卒業したのかい!!」
どんぶりをわしづかみにしてトイレへ投げ捨てたり、あるときは私の胸もとに熱いうどんをぶっかけ、乳房の皮膚がめくれるほどの火傷を負ったこともありました。
たかがうどんで、なぜこんな酷いめにあわせられねばならないのかと、泣きの涙で実家に帰ったこともありました。
嫁ぎ先は農家です。といっても自分の家で食べるお米と野菜をつくる飯米農家で、夫(39才)は隣町の瓦工場に勤めています。
ですから、田んぼと畑はほとんど私の仕事で、サラリーマン家庭に育った私には、慣れない農作業は重労働。いちばん苦しかったのは、長男のM男(小学2年)を身ごもったときでした。
ひとかけらのやさしさもない姑は、身重でうつむきにくい私に臨月まで畑仕事をいいつけ、
「これしきのことでへたばるなんて、ここいらの嫁じゃない。わしなんか、子供を生んだその日の朝まで牛馬のように働いたもんじゃ」
とせせら笑うのでした。そしてへとへとになって昼過ぎに畑から帰ると、昼食はきまって“うどん1杯”。私はいつも空腹で、姑をうらめしく思いました。
たまりかねて、朝炊いたごはんでこっそりとおむすびをつくり、それをポケットにしのばせ、畑の隅っこで、まるで泥棒猫のようにむさぼったこともありました。
“このくそババァ、早く死ねぇ!”
と、何度願ったかわかりません。
俗に“外面のいい人は内面が悪い”といいますが、姑はその典型で、他人にいつもニコニコと笑顔を見せて、自分の本心をごまかしているのです。そして、そのはけ口を私に対する残酷な仕打ちで解消してきたのです。
夕食が終わると、主人と息子が今度の日曜日に魚釣りに行く準備を始めました。
「コイを釣るには、このフトミミズがいちばんなんだぞぉ」
見ると、木箱に10cm近い長さの70~80匹のミミズがうごめいていました。主人が畑を掘り返して集めてきたものでした。
次の日のお昼、私は腕によりをかけて、姑の好きな“うどん”をつくりました。そうです、憎たらしいうどんのかたきを、とうとうとる日がきたのです。
私は主人が納屋にしまっておいたあのフトミミズを、そっとザルにあけました。冷水をかけると、ミミズたちはくねくねと動いて、早く料理してほしいと待っているようです。
ぐらぐら煮えたぎるお湯に、私はミミズを放り込みました。ピクピクッと跳ねあがって、ミミズたちは一瞬にして肌色に変色し、とっておきの“うどん”に変わりました。
「お姑さん、お昼ですよ。うどんがのびちゃいますよ」
おもむろに姑の部屋に声をかけて、ほとんど目の見えなくなった姑の手を引いて食卓にすわらせました。“知らぬが仏”の姑は、「それじゃ、いただこうかね」
そして、うどんの汁をひと口すするなり目をまるくしました。「おや、きょうはどうしたんだい。この汁、コクがあるねえ。こんなうまい味にできるとは、やっぱり長いあいだかかって教えてきた甲斐があったってことだね」。
私は、姑がうどんを口に入れるのを、いまか、いまかと待ち構えていました。ようやく姑は、うどんに箸をつけると、ツルツルッと音をたてながらほおばり、クチャクチャと噛み始めました。
ミミズの内臓が口中にあふれています。だが、姑はいいました。
「あれぇ、このうどん、上等のやつだねぇ。こしがあってなかなかだね。どこで買ってきたんだい」
私は答えました。「ああ、伸夫さん(夫)が会社からもらってきたんですよ。なんでも上州のうどんだそうですよ」
「そぅかい、そうかい。こんなうまいうどんが食べられるなんて、ほんと、長生きしてよかったよ」
姑はひと筋も残さず、汁も全部飲みほしました。80匹近いミミズたちは、姑の胃袋にまるまると収まったのです。
そして姑はいいました。
「あしたも、このうどんにしておくれ」