2009年12月、習近平・中国副主席と天皇の会見をめぐる小沢一郎元民主党代表の言動が「天皇の政治利用だ」と批判を浴びたことは記憶に新しい。小沢氏は、「天皇との会見は30日前までに申し込む」という役人の決めた内規について、「天皇陛下に聞いてみれば、手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう、と必ずおっしゃると思う」と語った。
だが、菅首相こそ「天皇を政治利用した」という声も出ている。それは、菅内閣が2010年8月に閣議決定した日韓併合100年のいわゆる「首相談話」だった。談話には「痛切な反省と心からのお詫び」という植民地支配への謝罪の文言に加えて、宮内庁が保管している「朝鮮王室儀軌」などの図書を韓国に引き渡すことが明記された。
しかし、この返還問題は1965年の日韓基本条約で解決されており、法的にも外交的にも返還の必要はない。それだけに、返還すれば自民党や民主党の保守派から反発が強く、首相談話を出せば政権は危機に陥るとの見方もあった。そこで菅首相は、歴代首相経験者で保守派の重鎮、中曽根康弘・元首相に電話を入れていたのだ。
菅側近の一人は、その時のやりとりをこう明かす。
「説得の決め手になったのは、総理の『朝鮮王室儀軌を返すのは大御心でもあります』という言葉だった。それを聞いて、中曽根さんにも納得していただけた」
大御心とは、「天皇の考え」という意味だ。
菅政権独自の外交方針転換を天皇の判断に見せかけたのだとすれば、天皇の政治利用以外の何ものでもない。その言葉が効果的だったのかどうかは定かではないが、首相談話に合わせて中曽根氏が「過去を反省・点検し、未来に向かってさらに強固な関係を築くよう努力すべきだ」というコメントを発表した。保守派重鎮の賛同で保守勢力からの批判は立ち消えになったのである。
さて、菅総理の「大御心」発言と冒頭の小沢氏の発言、どう違うのか。憲法学の権威である斉藤文男・九州大学名誉教授が、両者の違いをわかりやすく解説する。
「小沢氏の言動は、天皇陛下の役割である国事行為に準じた国際親善を行なっていただいたもので、憲法違反でも政治利用でもない。陛下のお気持ちを察しようとすることは、皇室に敬意を持つ者ならば、むしろ当然です。
それに対して、天皇陛下は政治判断の権限を持たないのに、菅首相が韓国への図書引き渡しを『陛下の意志』だったかのようにいったとすれば、これは天皇の政治利用にあたる。天皇陛下の名を使って戦争を拡大していった戦前の軍部に通じる危険があります」
※週刊ポスト2011年1月7日号