ミサイルを飛ばそうが、核実験を強行しようが、さらには隣国を攻撃しようが、一貫して北朝鮮を擁護してきた中国。なぜここまでテロ国家を庇うのか。そしていま両国の間に何が起こっているのか。東京新聞記者の五味洋治氏が報告する。
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2009年は、中朝蜜月に新たな展開を予感させた。10月、温首相は、平壌郊外の平安南道檜倉郡にある「中国人民志願軍烈士墓地」を訪れ、毛沢東の長男で、朝鮮戦争で死亡した毛岸英の墓参りをした。この墓地を中国の政府要人が訪問したのは、周恩来以来約50年ぶりだった。
2010年5月と8月には金正日総書記が中国を訪問した。1年に2回の訪問は初めて。特に8月には、吉林省の省都、長春などを訪れ、父親の革命史跡をたどった。胡錦濤国家主席は、北朝鮮との友好維持を約束した。
9月下旬の朝鮮労働党代表者会で、北朝鮮の新指導体制が固まったのを受け、中国は10月10日の朝鮮労働党創建65周年記念式典に、中国共産党序列9位の周永康・中央政治局常務委員を北朝鮮に送った。
周はわざわざひな壇で金総書記と並び、笑みを振りまいて軍事パレードを一緒に観覧した。後継者に決まった三男の正恩と握手し、「両国は親密な同志関係であり、誠実な友である」とお世辞を言い「蜜月」を演出した。
だが中国の本音は別のところにあった。ウィキリークスの機密公電の中に今度は実名で登場する。金正日が訪中する時、全行程をつきあう中国共産党の王家瑞対外連絡部長だ。王部長は昨年暮れ、バーンズ米国務次官(当時)に「北朝鮮の行動は常識が通用せず、予測不能だ」と吐き捨てるように言っていたというのだ。
さらに中国は、三男正恩への権力継承や、ウラン濃縮の動きも正確に把握できていなかったことも公電で裏付けられた。中国は「駄々っ子」に最大限に気を使っているにもかかわらず、影響力は低下しており、苛立ちだけを募らせている。
中朝は「仮面夫婦」の不自然な演技をやめて、正式に別れるべき時期を迎えている。
※SAPIO2011年1月6日号