2010 年12月28日、女優・高峰秀子さん(享年86)が東京・渋谷区内の病院で肺がんのため亡くなった。“天才子役”として5才でデビューした高峰さんは、日本を代表する大女優へと駆け上がっていった。しかし、華やかにいろどられたキャリアの裏側に、彼女を“女優業嫌い”にさせた複雑な家庭環境があったことはあまり知られていない。
高峰さんが5才の誕生日を迎えた日、彼女の実母が結核で亡くなってしまう。そして、実母の葬式の翌日、叔母は高峰さんを東京へと連れて行ったのだった。
ふたりの確執は、このときから始まっていたといっていい。ほどなくすると、彼女は養父に松竹蒲田撮影所に連れて行かれる。それはデビュー作となる映画『母』のオーディションだった。高峰さんは見事合格。“天才子役”として一気に人気者になっていく。
一方で、養母は「秀ちゃんのお母さん」と周囲からチヤホヤされて舞い上がり、高峰さんにも傍若無人な態度を取るようになっていった。仕事のため学校に行けない高峰さんが、唯一楽しみにしていた就寝前の読書を見つけると、「私への当て付けか!」と怒鳴り、電灯を消した。
他にも、1枚だけ残っていた実母の写真を見つけると、高峰さんの目の前で破り捨てたこともあった。だが、そんな家庭環境のなかでも、高峰さんは逃げ出すことはなかった。
<イヤだといっても女優をやめては親子三人ヒボシになる。とにかく、仕事というものは好ききらいでするものではないと割り切った。幸か不幸か、軽佻浮薄、冷酷無惨な映画界は、自分を鍛えるにはじつに格好な場所である>(著書『おいしい人間』より)
<私は女優という商売が好きになれなかった。でも辞めることもできない>(『婦人画報』2009年9月号より)
一家のために女優であり続けなければならなかった高峰さんは、20代のころには『カルメン故郷に帰る』『細雪』などの話題作に次々と主演。当時の首相だった吉田茂の月給が4万円という時代に、彼女のギャラは1本100万円という国民的女優となっていたのだった。
※女性セブン2011年1月27日号