歌舞伎とは、傾くという言葉の古語、“かぶく”というのが語源で、放蕩無頼の若者「かぶき者」が、やり場のない思いを表現したのが歌舞伎の始まりだ。
1600年ごろ、斬新な動きや派手な装いを取り入れた「かぶき踊り」で一世を風靡したのが出雲の阿国。「かぶき踊り」や「女かぶき」が大ブームになった。江戸の元禄時代になると大衆娯楽として最初の最盛期を迎える。「西の藤十郎、東の團十郎」の2大名優が登場した。
この團十郎こそが初代の市川團十郎で、現代まで続く江戸歌舞伎の創始者。市川一門を率いる市川宗家といわれる。だからこそ代々の市川團十郎は、江戸歌舞伎を代表する特別な役者として人々から尊重されてきた。
その後、近松門左衛門など優秀な作者も歌舞伎の普及に貢献し、現在でも上演される『仮名手本忠臣蔵』『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』といった3大名作も誕生している。また歌舞伎の独特のメイクや演出などの方法も江戸時代にできあがった。
歌舞伎のメイクは、善人は白塗り、悪人は赤顔。ほかにも眉の引き方、目張り、唇のつくり方に特徴がある。より顔の動きをわかりやすくするための「隈取り」は、顔の筋肉を強調するために紅や墨などで施される。海老蔵の殴打事件のときに話題になった「にらみ」は、いわゆるにらみつける動作だが、これは成田屋の役者だけに伝わる邪気払いの所作をいう。
※女性セブン2011年2月10日号