鳥インフルエンザに噴火にと、受難続きの宮崎県だが、いまだ残る「宮崎口蹄疫」後遺症について、ベストセラー『がんばらない』著者で諏訪中央病院名誉院長の鎌田實氏が報告する。
* * *
昨夏、宮崎県の都農町の保健師から電話が入った。
「町の人が精神的に参っている。助けてください」
最初、僕は何がなんだかよく分からなかった。宮崎で発生した口蹄疫で未だに心が傷ついているという。都農町は口蹄疫の1例目が発生した町だった。
昨年3月下旬、よだれを流す牛がいた。4月7日、獣医が診察して県に連絡。20日、口蹄疫ウイルスが確認された。6月30日までに都農町の牛や豚、ヤギやイノシシ、水牛など1万7148頭が殺処分になり、すべていなくなった。県全体では約29万頭を殺処分した。
そして8月27日、終息宣言が出されたのだが、その後も町の人の心の後遺症が続いていた。保健師が町を歩いて人々に話を聞くと「辛すぎて牛舎に近づけない」「病気でもない牛が殺されたのを忘れられない」などといった悲しみがあふれているという。今はいないはずの牛の声が聞こえると、幻聴を訴える人もいた。
終息宣言されたのに、畜産農家190世帯のうち、30世帯しか再開していない。未だに牛を飼う決断ができない森川さんご夫婦を訪ねてみた。牛舎はガランとしている。ここで21頭の牛がワクチン接種後、地域の埋却地に連れて行かれ、埋められた。すべて健康な牛だった。感染しないように必死に守った。24年間かけて繁殖農家として良い牛を育ててきたプライドもあった。
母牛の名前の後に血統が書かれている。『安平』など一般の人が知っているスーパー種牛の名がある。種牛も大事だが母牛も大事。いい母牛を作るのに20年かかった。だから簡単には再開の決断がつかないのだ。
牛舎の入り口に、こんな言葉が貼られていた。「牛を見て、牛を感じて、牛の気持ちになって牛を育てる」。52歳になる奥さんが書いた。夫婦は毎日この言葉を見ながら、牛に接してきたのだ。
殺処分される日に出産があった。午前3時に子牛が生まれた。子牛をタオルで拭い、母牛の乳を吸わせた。子牛は11時間生きた。夫婦は「殺処分になるときもせめてお母さんの傍に埋めてもらいたい」と祈りながら、母と子にお揃いのリボンをつけたという。
「年賀状は出さない。殺処分された牛は家族同然だから……」
森川さんが埋却地を案内してくれた。森川さんばかりでなく、町の人が毎日のようにここに来て拝むのだという。森川さんは「春になったらクローバーとひまわりの種をまいて花で埋めつくしたい」と話した。
※週刊ポスト2011年2月11日号