AFCアジアカップ2011の決勝戦で、見事決勝ゴールを決めたサッカー日本代表・李忠成選手(25)は1985年12月、東京・西東京市(旧・田無市)に在日韓国人4世として生まれた。元サッカー選手の父親・鉄泰さんの影響もあり、小学校から本格的にサッカーを始めた。
「父親には“日本人が10回練習するなら、在日のお前は12回やらなければ生き残れない”と厳しく教えられたといいます。プレーが悪かったらご飯抜きだったこともあるそうです」(サッカー関係者)
小学生時代は、朝鮮学校に通った。自らのルーツである民族のアイデンティティーを忘れないようにという両親の思いからだった。朝鮮学校の制服に向けられる視線を感じたり、時には絡まれることもあったというが、李選手は何があってもくじけない性格だったと母親の裕美さんはいう。
「民族教育のおかげかもしれませんね。上手くいかないことがあっても頑張ろうと取り組む子です。小さいころからとても前向きでした」
中学からは日本の学校に通い始めたが、このとき李選手は、通名の「大山忠成」ではなく、「李忠成」で学校に通うことを自分自身で決めたという。李選手を追ったノンフィクション『忠成』(ゴマブックス)の著者でスポーツライターの加部究さんの話。
「まだ12才だった彼にとって、悲壮な覚悟をもっての決断でした。入学初日には同級生に、“なあ、おまえ日本語しゃべれるの?”と聞かれたそうです」
※女性セブン2011年2月17日号