人は人生のしめくくりをどのように迎えるのか。1998年に89歳で亡くなるまでの11年間を、都内のホテルで暮らしたのは、映画評論家の淀川長治だ。
生涯解説を務めた『日曜洋画劇場』を収録するテレビ朝日に隣接していた、赤坂の「東京全日空ホテル」(当時)の3401号室。ジュニアスイートと呼ばれていた部屋がここだ。
「横浜(鶴見)から週に1度収録に通うのは大変だからと、番組の担当者が気遣ってくださったのを機に、居着いてしまったようです。元来は慎ましいのですが、行き届いた環境で何かにつけ快適で便利でしたから。空や星や月が好きだったので、高層階でとても気に入っていたようです。『今、星がきれいだから見てごらん』なんて、よく電話をくれたのを思い出します」
とは、姪の淀川美代子氏。一部屋を仕事場として、原稿執筆や映画鑑賞に没頭していたという。
「映画雑誌やパンフレットなど資料が山積みで仕事部屋はグチャグチャ(笑い)。でも寝室はきれいでしたよ。大好きなチャップリンが刺繍されたクッションを、いつもベッドに置いていました」
チャップリンについては、『独裁者』のポスター前で微笑む写真が遺影になったほど。映画をこよなく愛した淀川は、映画に看取られて、人生の幕を下ろした。
※週刊ポスト2011年2月18日号