中国、韓国、日本、そして米国……。各国の教育事情には大きな隔たりがある。大前研一氏が解説する。
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少子化によって国内市場が縮小している日本の教育産業が、アジアを中心にグローバル化を加速させている。たとえば、通信教育大手のベネッセコーポレーションは、中国で未就学児(1~6歳)向け講座「こどもちゃれんじ」事業を強化するとともに2010年9月から新たに就学児(6~7歳)向けの新講座を開き、会員数を10年4月の約22万人から半年で約27万人に増やした。今後も上海や北京などで営業拠点を拡大し、会員数を18年度までに150万人規模に伸ばす計画だ。
また、すでに海外45か国・地域で約8100の公文式教室(KUMON)を展開している公文教育研究会は、所得の増加に伴い教育熱が高まっているインドやベトナムに注力している。学研ホールディングスも現在、インドネシアで算数と科学実験の学習塾を開いている。
もともと日本の教育産業は音楽の分野でいち早く国際化した。ヤマハ音楽教室は1965年にアメリカ・ロサンゼルスで開設以降、中南米、ヨーロッパ、アジア、オセアニアへと広がり、今や世界40以上の国・地域に約18万人の生徒がいる。
これらの教育産業は世界に類を見ない日本独特のものである。高度成長期の日本は、均質的な労働力を大量に必要とした。そのニーズに応えるために教育産業は、一定レベル以上の人間を創り出すための仕組みをせっせと構築してきた。
そして膨大に蓄積したデータベースと長年の経験から培った診断力を基に教育のメソッド(体系的な方法・方式)を確立し、衛星放送による遠隔授業も早々に導入した。日本のお家芸である品質管理の手法により、「国民の平均値を上げる」システムとノウハウを高度に発達させて“芸術の域”にまで高めたといえるだろう。
この種の教育は創造力やリーダーシップの育成には役立たないかもしれないが、産業としての完成度は素晴らしいものであり、その優れたシステムとノウハウを、いま最も必要としているのが、中国をはじめとするアジアの新興国と発展途上国だ。日本の高度成長期と同様に、一定のクオリティの労働力を量産しなければならないからである。
また、大学が極めて「狭き門」になっている中国、落ちこぼれは相手にしないという「捨て身の戦略」を国ぐるみで採っている韓国は、日本以上に受験戦争が熾烈で家庭の教育熱が非常に高く、小学生時代から受験や塾通いが当たり前になっている。日本の教育産業が、こうした広大なフロンティアを逃す手はない。
※週刊ポスト2011年2月18日号