人は「終の棲家」をどのように決めるのか。東京・小石川に生まれた永井荷風は、大久保余丁町、麻布、岡山と転々と暮らすが、終戦後の1946年に千葉県市川市に移り住み、79歳で永眠するまでこの地で暮らした(市川市内でも3度引っ越している)。
荷風が終の棲家としたのは、78歳で購入した八幡の一軒家。六畳と四畳半、三畳、そして台所とトイレという小さな戸建てだった。年中敷きっぱなしにされた布団と机、作りかけの本棚、そして七輪や鍋、タバコや空き缶……。これらが畳の上に無造作に置かれ、手を伸ばせばすぐに届いた。夕食は1人、粥を煮て食べるなどした。
独り暮らしだった荷風は、1959年4月30日未明、六畳間の書斎兼寝室で血を吐いて倒れた。誰にも看取られない孤独死だった。
※週刊ポスト2011年2月18日号