「日常では老いゆく姿しか目に映らないけれども、この曲を聴けば、“生まれた時は万人がすべて人に頼っていたんだ”という、当たり前すぎて忘れていることを思い出させてくれます。自分にも相手にも膨大な歴史がある。だからこそこの曲で、親の介護をしようと心に決めた時の気持ちなど、それぞれが原点に戻って自分の心をリセットできるのではないでしょうか」
老いと向き合う、親から子へ向けたメッセージソング『手紙~親愛なる子供たちへ~』が、2008年の発売以来、14万枚を突破する長い躍進を続けている。この歌を歌うのはシンガーソングライターの樋口了一。ブラジルから届いた差出人不明のメールに感銘を受け、その内容を基に訳詞・作曲したものだ。その内容から“介護の歌”とも呼ばれ、介護や看護の現場に身を置く人々の心の支えとなっている。
この曲を必要としている人は必ずいる。ならば配達人となり、その人の心のポストに『手紙』を直接届けたい――その思いから2年前より「ポストマンライブ」と名付けた無料のミニライブを企画し、全国を回っている。
「ライブは84回目を迎えました。希望者は病院や施設など、約6割が介護関係者です。介護士の専門学校で教材に使われているとも聞きました。歌詞の一部をみると確かに介護の歌とも連想できますが、僕は、より深く“いのちの歌”だと考えているんです。歳を重ね、自分を表現することや今までできていたことができなくなっても、何かが失われたわけではない。身体が衰えただけで、その人自身は何ひとつ変わらないんです。『手紙』と出会い、そう確信することができました。このメッセージを、僕はみなさんに届けたい」
老いの先には、命の終わりがある。誰もが直面するこの現実と向き合わせてくれたのは、故郷の熊本に暮らす80代の父親だった。
「自分はそう長くないが、肉体を離れても魂は永遠に続いていく。自然の摂理なんだから、俺が死んでもことさらに悲しむなよ─。焼酎を飲みながら親父が語りかけてきたんです。会えなくなる悲しみはあるけれども、身内の幸せな旅立ちを思い描ければ少しは安らぐかもしれない。そう信じられるようになって『悲しい事ではないんだ』という、原詩にはなかったメッセージを歌詞に加えました」
樋口自身、一度だけ年老いた父の前でこの曲を歌った。
「父が週3回デイサービスを受ける施設で、歌いました。いつもは依頼を受けて赴くところを、この時ばかりは自分からお願いをしました。『手紙』の他に、故郷の立田山をみて親父が作った詩から生まれた曲も歌ったんですが、“あの曲は俺が作ったんだ”と嬉しそうだったと後から聞きました。僕には何もいいませんでしたけどね……」
今春に両親が暮らす熊本に移住することを決めたという樋口。これからもポストマンライブは変わらずに続けていく。
「時代、世代を超えて、いつでも必要な人に届くような曲になってほしい、と願っています」
【プロフィール】
樋口了一(ひぐち・りょういち)1964年2月2日、熊本県生まれ。1993年デビュー。代表曲に深夜番組『水曜どうでしょう』(北海道テレビ放送)のテーマソング『1/6の夢旅人』など。歌手活動の他、石川さゆり、SMAP、沢田研二らに楽曲を提供。2008年発売の『手紙~親愛なる子供たちへ~』(1000円、テイチクエンタテインメントより発売中)は大きな反響を呼び、2009年のレコード大賞で優秀作品賞を受賞。依頼のあった場所で行なう「ポストマンライブ」を継続中。
撮影■渡辺利博
※週刊ポスト2011年2月18日号