江戸後期以降に誕生したいわゆる新宗教の中でも、勢力を伸ばした宗教の特徴は、「実在の神」の如き存在があったことだ。「難病が治った」など、信仰心のない一般人にとっては信じられないようなエピソードが飛び出したり、教祖の書いた文章が「原典」になったり……。各教団で行なわれている様々な形で教祖たちの「カリスマ化」について宗教学者の島田裕巳氏が解説する。
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宗教界のカリスマという時、真っ先に思い浮かぶのが、創価学会の池田大作名誉会長だろう。池田氏は1928年、東京生まれの83歳。19歳で創価学会に入信すると、1960年に32歳で第三代会長(1979年からは名誉会長)に就任し、以降、トップに君臨してきた。
創価学会では2002年に会則が変更され、
〈牧口常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長」は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であり、この会の永遠の指導者である〉(第3条)
という項目が加わり、池田氏と「第四代以降」とは“別格”であることをはっきりさせている。これこそ池田氏がカリスマ化されていることの象徴だが、彼が信者たちから崇拝されてきた背景には、池田氏が「直接会員と会う」ことを重視してきたという点があることは見逃せない。
池田氏は会長時代から、信者の集まりに出ては一会員にも気軽に声をかけ、握手し、肩を叩いて折伏(布教活動)や勤行(題目を唱えること)をがんばるようにと励ます。壇上に上れば、ジョークを交えた話で会員たちを魅了してきた。
時には、会の幹部を多くの会員の前で厳しく叱責するといったパフォーマンスをすることもある。重用されてきた人物であっても容赦なく叱責され、ひれ伏すように許しを乞う様子を見た会員は畏怖の念を持つようになる。
「池田名誉会長が登場すると、場の雰囲気がピンと張り詰めたものに一変する」とか、「ものすごいオーラを放っている」などと言う会員が多いのも、そうした「人心掌握術」によるものである。
さらに、聖教新聞や池田氏の著作の出版物などの、いわば“教団内広報活動”によって、同氏をカリスマ化するシステムができあがっている。
これらには、池田氏が1950年代から大阪を中心に折伏を積極的に行ない、選挙で陣頭指揮を執ったり、創価学会の会員数増や国際化に貢献した実績などが記されており、これがカリスマ化につながっていることは間違いない。聖教新聞で、しばしば池田氏が「〇〇大学の名誉教授称号を授与」されたことが報じられるのはご存じの通りだ。
また、システムとして言えば、「教育」も挙げられる。創価大学や、東京や関西に小・中・高校などを擁する創価学園などでは、創立者である池田氏の思想を学ぶカリキュラムが設けられている。また、以前は、池田氏自身が教壇に立ち、子供たちに「人間とは何か」などと教えていた。
しかし、そうした「カリスマ化の仕組み」も、池田氏の高齢化に伴い、変容を余儀なくされているようである。池田氏は次第に会員の前に姿を現わすことが少なくなり、幹部会でも自身のスピーチを代読させて短いコメントをするだけになったという。
最近の聖教新聞を見ても、今年1月27日付の1面で久しぶりに池田氏が立っている写真が掲載されていたが、他は、1990年代~2000年代前半までの写真を使っているケースが多い。
こうなると、若い会員たちにとって池田氏は、聖教新聞で見たり読んだりするか先輩会員から伝え聞く存在でしかなくなる。その結果、今後は池田氏の求心力は衰え、カリスマ性も薄れていくことになると考えられる。
※SAPIO2011年3月9日号