出口の見えない不況や領土問題などの喫緊の課題をいくつも抱えているというのに、菅・民主党政権は通常国会で立ち往生している。野党対策はおろか、足下の党内さえもまとめきれていない。実は、先の総選挙での劇的な勝利によって誕生した民主党政権が、このような醜態を晒すことになるのは、自明であったと、落合信彦氏は指摘する。
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これは政権交代の前からのことだが、民主党の指導者たちについて、“ある言葉”が使われていたことに注意を払っていただろうか。
「トロイカ」というフレーズである。
もともとロシア語で「3頭立ての馬車」を意味するこの言葉は、3人の指導者が対等な立場で組織を動かしていくことを表現して用いられる。民主党の場合は鳩山由紀夫、小沢一郎、菅直人の3人を指していた。
私が指摘したいのは、およそトロイカ体制というものが、人類の長い歴史の中で、一度たりともうまくいったことがないということだ。それは、3人がそれぞれ権力欲に駆られ、次第に力のバランスが崩れることに起因する。
3人の指導者が国家を率いた最初の例は、共和制ローマにあった。ポンペイウス、クラッスス、そしてジュリアス・シーザーの3人がBC60年から始めた、「三頭政治」である。
三頭政治が行なわれる前のローマでは、最高指導者であるはずの執政官(コンスル)よりも、元老院が強大な政治力を握っていた。その元老院に対抗するために、3人は手を組み、民衆の支持を勝ち得たのである。
ところが、まずクラッススが戦場で命を落とす。すると、シーザーとポンペイウスの間で壮絶な争いが始まった。ガリア戦争で、シーザーがガリア(現在のフランスなど)全土をローマの支配下に収めるという戦果を挙げると、焦ったポンペイウスは元老院と結んでシーザーの力を削ぐことを画策した。
対するシーザーはポンペイウスとの戦争を決意し、BC49年にガリアからローマへと進軍を始める。この時に渡ったのがルビコン川であり、そこで発したとされる「賽は投げられた」という台詞はあまりにも有名だ。
その後の戦いでポンペイウスはシーザーに敗れ、エジプトへと逃れるが、そこで殺されてしまう。勝利したシーザーも終身独裁官の座に就いたものの、その絶対的権力に不満を抱いた共和制主義者たちに最後は暗殺された。
では、民主党のトロイカはどうだったか。ローマ元老院の如く権力を恣にしていた自民党政権という敵に立ち向かうために手を組んだ鳩山、小沢、菅の3人は、権力奪取には成功した。
しかし、まず鳩山が首相の座を追われ、菅と小沢の間で党を二分する争いが勃発する。小沢は菅との代表選に敗れ、政治生命の危機に追い込まれた。勝ったはずの菅も、指導力を全く発揮できず、そのクビは3月末で切られるやもしれない状況にある。
ローマにおける三頭政治の辿った末路と、完全に符合しているではないか。もちろん、英雄であるシーザーと、右往左往するばかりの菅の、政治家としての資質には天と地ほど差がある。だが、権力闘争の経緯は、2000年以上の時を隔てながら驚くほど瓜二つだ。
※SAPIO2011年3月9日号