「孤高の名人」といわれる柳家小三治は「落語家」ではなく「噺家」であるとことにこだわっているという。「落語家」と「噺家」、一体何が違うのか、『現代落語の基礎知識』などの著書をもつ広瀬和生氏が解説する。
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「落語家」か「噺家」かという問題に関して、明確に線引きをしている大御所が二人いる。立川談志、そして柳家小三治だ。
談志は著作の中では「噺家」と「落語家」と両方の表現を混在させているが、自身については「噺家なんぞと呼ばれたくない。俺は落語家だ」と語っていたことがある。「私ほど落語に深く興味を持った者は過去一人も居るまい」(『談志 最後の根多帳』)と断言する家元ならではの強烈な自負心の表われだろう。
「落語とは人間の業の肯定である」と定義づけ、自身の活躍で落語が「能のようになる」のを阻止した「中興の祖」談志には、確かに「噺家」より「落語家」が似つかわしい。
一方、小三治は「噺家」だ。
昨年落語協会会長に就任した小三治は、誰もが認める「孤高の名人」だが、「噺のマクラ」が異様に長いことでも知られている。ときに「早く落語に入れ」と苛立つ客もいるが、ファンはその「長いマクラ」を愛している。マクラを集めた本はベストセラーだし、玉子かけ御飯へのこだわりや駐車場のホームレスについて語った「マクラのCD」も売れた。
1時間も随談だけしゃべって落語を演らずに高座を降りることも、ファンにとっては充分に想定内だ。
あるとき、その「長いマクラ」で確定申告について延々と語っているうちに、職業欄の話になった。
「私は落語家って書きたくない。噺家と書きたい! でも噺家って書いたら税務署から電話が掛かってきた。『クチアタラシイ……何です、これ?』って。そんなとこに税金払いたくないね!」
これには笑った。落語家と呼ばれたくない、という小三治の主張は一貫している。
「だいたい落語家なんて言い方、昔はありませんでしたよ。昭和初期には噺家と書いてた。『落語家』と書いて『ハナシカ』とルビが振ってあったモノもある」
※週刊ポスト2011年3月4日号