穏やかな瀬戸内海に面した岡山県倉敷市児島。急な勾配を上り下りしてたどり着いた一軒家の一室から、ダダッ、ダダッとうなるような機械音が聞こえた。部屋の真ん中に置いてある工業用ミシンの周りをヨン様のポスターが彩っている。
この家に住む藤原孝子さん(59)は、1日10時間以上、年季のはいったミシンを踏んでいる。長い作業だが、お昼の時間に放映される韓流ドラマが息抜きになると微笑む。
「私はミシン以外何もできません。スーパーでレジを打とうという気にはなれんけん。ミシンは手足のようなもんです」
藤原さんの手元でテキパキと縫われていくのは、子供用のかわいらしいズボンだ。マチ針もつけずにウエスト部分のゴムがあっという間に縫い付けられていく。1枚を仕上げるのにかかる時間はわずか2分程度。このズボンは2か月前から海を越え、中国・上海で販売されるようになった。藤原さんは日本で作ったこのズボンが中国で売られることに感慨深い思いがあるという。
「仕事を中国に奪われた仲間を何人も見てきたけんね。職人として見返してやりたい気持ちがあったんです」(藤原さん)
集団就職時代から、耐えて耐え抜いてきた彼女たちに、ようやく光が当たり始めている。
42年間守ってきたGDP世界第2位の経済大国の座を中国に奪われた日本。衣類の業界では、日本で流通する衣料品の実に83%を中国製品が占め、もっと以前から中国に負けていることを感じていた人は多い。そんな逆境の中、日本女性の底力を発揮したのが、藤原さんら内職主婦だった。
藤原さんが“勤務”するのは地元の子供服メーカー・マルミツアパレル。同社の光實庫造社長(59)は、お世辞にも立派とはいえないプレハブ建ての事務所の前で、「事務所はお金を儲けない。儲けるのは人なんです」と笑う。
同社の製造過程はユニークだ。月に約1万2000本の子供用ズボンを生産しながら、工場や大きな設備を持たない。この会社を支えているのは、藤原さんのような“内職おばちゃん”だ。
日常、おばちゃんたちは自宅でスタンバイする。そこを布地や作りかけの子供服を軽自動車に載せた光實社長が訪れる。内職者はポケットの縫い付けや全体の縫製など各自の受け持つ作業を終えて納品する。この循環により工場がなくても商品が完成する仕組みだ。
「日本製といっても中国人研修生などが作っている商品もありますが、われわれが作るのは純然たるメイドインジャパンです」(光實社長)
同社で働くおばちゃんたちは現在約30人。平均年齢は55才で最高齢は77才に達する。会社勤めだったら定年を迎えている年齢だが、ミシンひとつで月収10万円以上を稼ぐおばちゃんもいる。
※女性セブン2011年3月10日号