ピンク映画全盛期からアダルトビデオ黎明期を牽引し、AV大国ニッポンを築いた男、「ヨヨチュウ」こと代々木忠監督(72)。彼の半生を追ったドキュメンタリー映画『YOYOCHU SEXと代々木忠の世界』(石岡正人監督)が公開中だ。
数々の伝説的作品を残した彼だが、実はとんでもなく破天荒な人生を歩んできた。映画でも封印された監督以前のエピソードをはじめ、高濃度凝縮のロングインタビューである。
――監督の波乱万丈な人生を描いた映画『YOYOCHU』、非常に面白かったです。監督が九州・小倉でヤンチャしていた少年時代のことがほとんど触れられてないのは、証言も集めたのに物騒すぎて使えなかったって噂ですね?
代々木:そうですか(笑)。キレちゃって、もう許せねえっていうんで後先考えずにぶっ刺したりしたこともありましたから(以下略)。
――そんなことを繰り返した結果、小倉にいられないぐらいになるわけですか。
代々木:それまで1週間の行動を毎週、(警察の)少年課に報告してました。「今度やったらお前、佐賀の特少(特別少年院)間違いねえからな」って言われてたから。九州全土のワルがそこに入ってきてるじゃないですか。そこで「儀式」があるわけですよ。とりあえずそこだけは行きたくないって。
――だから逃げた、と。
代々木:それで大阪に逃げたの。保証人もなにもなく職業安定所で紹介してもらって、住み込みで花屋で働くことになって。習いごとはお華はもちろん嵯峨未生流から嵯峨流、あとは謡曲は観世流、お茶はとりあえず裏千家をやれという。
――喧嘩三昧の世界からそっちにいくっていうのもすごいですよね(笑)。
代々木:そこでお華の免状も取ったし、真面目に働いてたので嫁を紹介してくれる人もいたし、結婚して資金援助してくれる人も出てきて、花屋を始めるわけですよ。そしたら(小倉の)兄貴分に「信じられる男がほしい。戻ってきて1年手伝ってくんねえか」って言われて。
――それで組に入る、と。
代々木:そういうことです。というのは、その組織そのものが、他の組にいられないのがみんな来るわけですよ。子飼いで育ってる連中ばっかりじゃなくて他の組から預かってる連中もいるんで、やっぱり兄貴分にしてみたら心底信じられないし、だから信じられる男がほしいっていうのは入ってみてわかりましたよね。
――でも、長く続けられるものじゃないですよね。
代々木:うん。神経が参っちゃうね。俺の下の人間だけでも3人死にましたわ。
――またサラッと言いますよね。ヤクザは自分の意思で辞められたんですか?
代々木:だから本家と「逆盃(ぎゃくさかずき)」です。ある一言でキレたんですよ、俺は。1年間は全面戦争ですよ。
――え! 全面戦争の果てに指を落としたんですか?
代々木:いや、俺が指を落としたのは、俺が組を継いだときストリップ興行のことで自分の傘下にいる奴らが事件を起こしたから。それのけじめを取るためにそいつらの指4本落として、俺の指をつけて本家に持っていったわけです。
――…………はぁ。
聞き手■吉田豪
※週刊ポスト2011年3月11日号