「就職氷河期」に直面する就活学生は、不況で人生がダメになったと嘆く必要はない。戦後の名経営者たちの中には、不況の波にもまれ、第一志望とする企業に入社できなかったにもかかわらず、後に大きな成功を収めた人が多くいる。ノンフィクションライターの鈴木文男氏が報告する。
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ソニーの創業者の一人、井深大(1908~1997)も就職試験で第一志望に落ちたクチだ。井深は1933(昭和8)年に早稲田大学理工学部を卒業し、東京電気(現東芝)の就職試験を受けた。まだ世界大恐慌が続いていた年である。
すでに学生発明家として名を馳せていた井深は、面接で「やりたいことがたくさんある」「自分が発明したネオン装置は特許も取った」と自信満々に述べた。ところが、それが生意気と取られたのか、不採用になってしまった。
結局、井深は写真化学研究所という映画会社に入社した。東宝の前身となる会社のひとつだが、当時はまだ設立4年目の中小企業だった。戦後、ソニーを設立するが、最初から大企業に入社していたら、井深の個性や才能は組織に埋没していたかもしれない。
京セラの創業者にして、現在、会長として日本航空の再建に取り組んでいる稲盛和夫氏(1932~)も、就職試験に落ちている。
稲盛氏は鹿児島大学工学部4年だった1954(昭和29)年に就職活動をしたが、前年に朝鮮戦争が休戦して戦争特需が終わり、雇用が悪化していた。地方大学の学生にとってはとりわけ厳しい状況だった。そのため帝国石油など、希望した大手人気企業の就職試験にはことごとく失敗し、「インテリやくざにでもなって世をすねてやろうか」と思ったほどだった。
大学の恩師の紹介でようやく、京都にある松風工業という碍子メーカーに就職できたのだが、業績の悪い中小企業で、寮は古ぼけたあばら屋、給料も遅配気味で、同期の大卒入社組は次々と退社していった。だが、稲盛氏はそこで技術を磨き、1959年に独立して京セラを設立する。
※SAPIO2011年3月9日号