大学生の就職活動が厳しさを増す昨今だが、第一志望の企業への就職に失敗しても、その後の人生がダメになるわけではない。実は就活の失敗という禍を福と転じた著名人は有名経営者だけではない。「第一ノンフィクションライターの鈴木文男氏が報告する。
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2002年に「一介のサラリーマン」でありながらノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一氏(1959~。現在、同社フェロー)は就活に失敗している。
東北大学工学部で電気工学を専攻した田中氏は就活に際し、大手人気企業ソニーを志望した。田中氏は大学の学科では成績上位一割に入っていたが、大変なあがり性だった。そのため面接、入社試験でどうしようもなく緊張してしまい、落ちてしまった。
そこで指導教官に相談したところ、「堅実で地道な企業」として紹介されたのが、京都にある島津製作所だった。田中氏から見ても堅実で、素朴な社風で、「ここなら役立てそうだ」と自信を持てたという。自分にあった企業でコツコツと研究に励んだことがノーベル賞につながったのである。
2008年にノーベル化学賞を受賞した下村脩氏(1928~)も長崎医科大学附属薬学専門部(現長崎大学薬学部)を卒業し、研究職を志して、製薬業界国内最大手だった武田薬品工業を受けたが、面接で無愛想な態度を取ってしまい、不合格。「あなたは会社員に向きません」という宣告まで受けたほどだ。結局、大学の指導教官のもとで実験実習指導員を務めることになるのだが、その時代に研究者としての礎を築くことができた。
芸能界ではみのもんた(1944~)の例が有名だ。
みのもんたは立教大学経済学部を卒業し、ラジオの文化放送に入社するのだが、実は第一志望はテレビもあるTBS(東京放送)だった。だが、不採用。その時、TBSに合格した一人が久米宏で、みのは後に何度も、長年久米をライバルとして意識してきたと語っている。就活の失敗をバネにして成長したのである。
※SAPIO2011年3月9日号