【書評】『天皇さんの涙 葭の髄から・完』(阿川弘之著/文藝春秋/1500円)
【評者】
関川夏央(作家)
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歯医者の待合室の雑誌に旧知の高峰秀子が出ていた。婦人記者が質問しても、「高峰さんの受け答へはぶつきらぼうそのもの、『インタビューなんかいやだ』、『めんどくさい』、『興味ない』、突きつめればそれを繰返してゐるだけ」、しかし老いた身にはその心情がよくわかる。
阿川弘之は、1997年夏から2010年秋まで「文藝春秋」の巻頭随筆を担当した。1996年春まで、司馬遼太郎が「この国のかたち」として10年間書いた欄だが、その単行本化4冊目である。原稿に憂いの色が濃いのは、やむを得ない。天人だって年をとれば五衰するし、近年の日本が日本だ。
「平和国家ってのは、夢中で戦争を研究する国なんですよ。健康であろうと思ったら、病気を研究するのと同じ」
「海洋国たる日本は、海洋発展をなすべきであつて、大陸発展をなすべきではない」
「ナニ、忠義の士というものがあって、国をつぶすのだ」
本文中に阿川先生が引用した言葉だ。最初のは山本七平、つぎはミズーリ艦上の降伏式に臨んだ横山一郎海軍少将、最後は勝海舟。
「お遊戯だつて何だつて、仲よくやつてるわよ。ただ、皆さんお年寄りなんでね。物忘れはひどいし、同じ話を何遍でもなさるし」
こちらは、介護施設に入っておられる阿川先生の兄嫁、99歳の言葉。とてもお元気だが、亡夫の名前は忘却された。
当初、文春社長はこの欄を「蓋棺録」まで書けといった。死ぬまでという意味だが、森光子と同年の1920年生まれ、文壇現役最長老である阿川先生もさすがに疲れて、2010年秋、満90歳を前に筆を擱くことにした。
先生も、この本で、「めんどくさい」「興味ない」を繰り返しているだけに見える。しかし、2010年暮れに亡くなった高峰秀子のインタビューとおなじく、やはり「名品」であろう。先人の言は聞くべし。戦中派の重たいユーモアは記憶すべし。
※週刊ポスト2011年3月11日号