金正日の後継者として金正恩の名前が挙がるまで、メディアは後継者は誰かとさんざん報じてきた。だが、実は後継者はずっと以前から決まっていた、とジャーナリストの惠谷治氏は指摘する。
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昨年9月27日、外国メディアが後継者として注目していた「金ジョンウン」の名前が、人民軍大将の称号(階級)授与の際、初めて北朝鮮の公式報道に登場し、数日後、漢字名も明らかになった。
長男の金正男ではなく、三男の金正恩が後継者と言われるようになったのは、2009年1月、韓国の聯合ニュースが「金正日が1月8日頃、党組織指導部に対し、金正恩を後継者に決定したと下達し、李済強第一副部長が課長級以上の幹部に伝達した」と報道してからだった。
1月8日(1983年)が金正恩の誕生日であることは、金正日専属の料理人だった藤本健二氏が、毎年、誕生会料理を作っていたことから明らかであり、議論の余地はない。以後、日韓では金正恩報道が過熱するようになった。
金正日は2008年8月14日に脳卒中で倒れ、左半身が不自由になったが、3か月後には自力歩行できるまでに回復した。そして、11月末から金正日独自の統治スタイルである「現地指導」を再開し、12月下旬、北朝鮮北部の慈江道を回り、20日に煕川陶磁器工場を現地指導したことが報道された。
同日、金正日は煕川青年電機連合企業所も現地指導したが、その事実は報道されなかった。しかし、2年後に朝鮮中央通信がこの現地指導を公表した写真には、金正日とともに、金正恩の姿があった。その写真を見ると、選ばれた側近だけに与えられるシルバーグレイのダウンジャケット(金正日着用と同一)を着た金正恩が、義弟の張成沢よりも上位に立っていた。
写真の背後には、工場入り口に掲げられた2枚の赤い表示板が写っており、左は金正日来訪を記念するもので、右の表示板には「尊敬する金正恩大将同志が現地指導した車組立工場、主体97(2008)年12月20日」と書かれているのが読み取れる。
その写真が配信された同日の党機関紙「労働新聞」にも、「尊敬する金正恩大将同志が立ち寄られた生産建物、主体98(2009)年5月9日」と書かれた掲示板が写っている写真が掲載されていた(付録クロニクルの写真参照)。
さらに、2009年6月19日、金正恩は後見人と言われる崔龍海(黄海北道党責任書記=当時)とともに、平壌近郊の軍事訓練場において新開発の戦車を試運転し、関係者たちと記念撮影した。このときは金正日の視察に随行したものではなく、金正恩が単独で軍部隊を視察している。
これらの事実は、金正日が倒れた直後に金正恩が後継者に内定され、金正日の回復とともに父子で現地指導を開始し、全国各地の党や軍の幹部たちに「尊敬する金正恩大将同志」を紹介していたことを物語っている。
つまり、金正恩は公式報道で内外に紹介される2年前から、実質的な後継者となっており、金父子は日韓の過熱報道をあざ笑っていたに違いない。
※SAPIO2011年3月9日号