広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が古典落語を楽しみたい人に勧めるのが、柳亭市馬である。
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現落語協会会長の柳家小三治は、著書『落語家論』の中で「まともにやって面白い。それを芸と言うのだ」と書いている。
昨年12月に落語協会副会長に就任した柳亭市馬。彼は、「まともにやって面白い」落語家の代表格だ。市馬は小三治と同じく五代目柳家小さんの弟子。柔和な笑顔と大柄な身体から発散される温かな雰囲気は、観る者すべてを和ませる。語り口は極めて魅力的で、表情の使い方も実に巧みだ。そして、声が抜群に良い。落語界きっての美声の持ち主と断言してもいいだろう。
若い頃から「小さん一門の優等生」と言われていた市馬だが、ここ数年でケタ違いに面白さを増している。
市馬が殻を破ったきっかけは、2002年に小さんが亡くなったことだ。
師の存命中は周囲の目を気にして「模範的であろう」と努めてきた市馬だが、当の小さんは市馬に「若いうちはとにかくウケろ」といっていた。その師匠が亡くなった頃、市馬より下の世代の若手真打たちが、それぞれ個性的な「自分の落語」で台頭してきた。「このままだと自分は埋もれてしまう」と焦った市馬は、思い切って「自分」を噺の中に出すことにしたという。「それを師匠も喜ぶに違いない」と信じて。
それが、市馬の才能を開花させた。以前の生真面目な芸風からは考えられない大胆なギャグやアドリブを随所に盛り込むことで、市馬ならではの独特の世界が生まれた。
立川談春は市馬を「大人の風格がある」と評したが、まさにそのとおり。人柄の良さがそのまま高座の爽やかさとなって表われている市馬は、談春とは別の意味で「将来の名人候補」といいたくなる大器だ。
当たり前の落語を、誰よりも心地好く聴かせてくれる柳亭市馬。一般的にイメージされる「面白い古典落語」をのんびりと楽しみたい、という人には真っ先にお勧めしたい、何とも素敵な落語家である。
※週刊ポスト2011年3月11日号