大阪府の橋下徹知事は2月、菅内閣の地域主権戦略会議に出席し、「国直轄の道路、河川の移管を2年前からいっているが、全く進んでいない」と不満を述べた。名古屋市の河村たかし市長も、「市民税を減税するのに財務相と総務相のハンコがいるのはおかしい。徴税権と起債権を自治体に渡すべきだ」と主張している。
それは霞が関が、国と地方の予算配分権、政策決定権を握り、政治家や首長までコントロールしてきた「権力構造」そのものに対する否定である。
本来なら、そうした権力を見張る「番人」の任を負うのがメディアなのだが、この国ではあまりにも長くその構造が続いたために、いつの間にか大メディアは権力構造の中に取り込まれ、むしろその「番犬」となってしまった。だからそれを壊そうとする者たちに牙をむき、噛みつこうとする。
菅政権になって、かつてなかったほどに既存の権力構造がぐらついてきたことで、危機感を抱いた大メディアは、なりふり構わず表立って権力を振るうようになり、「新聞党」とも呼ぶべき強大な「政治集団」に変貌している。
そのことを見せつけたのが、2月26日に首相官邸大会議室で開かれた首相の諮問機関「社会保障改革に関する集中検討会議」だ。
その席に毎日、日経の論説委員長と産経の論説委員、そして読売からは社会保障部長が登場して各紙独自の年金制度改革案を提出し、
「なるべく早く年金の支給年齢を引き上げた方がいい」(日経・論説委員長)
「今はもう消費税率10%では足りないのではないか」(読売・社会保障部長)
――などと自分たちの“政策”を開陳した。朝日は会議には出席しなかったが、改革案を提出した。
国民の生命と財産がかかった年金制度設計を、国民の負託も審判も受けていない新聞社のお偉いさんが集まって決めようなど、もはや民主主義さえかなぐり捨てた異様な権力行使である。
さらに菅内閣の審議会委員へもメディア出身者が続々と入り込んでいる。
各紙の年金改革案を審査する側の「社会保障改革に関する集中検討会議」の幹事委員には日本テレビ解説委員が起用されており、“政府が読売案を採用するかどうかを日テレが採点する”構図だ。他にも、「産業構造審議会」「個人情報保護専門調査会」など重要政策を決める審議会では新聞社や民放の役員・論説委員がメンバーになっている。
菅内閣は、国民の代表者で構成される国会の審議は軽視する一方、闇権力と化した大メディアとの談合には細心の配慮を見せている。
※週刊ポスト2011年3月18日号