江戸時代の本や浮世絵はけっこう値がはった。今田洋三氏の『江戸の本屋さん』にこんな記述がある。
「西鶴の浮世草子は数千円にもなるし、普通の好色本でも二、三千円にもなる。馬琴の読本にいたっては、数冊まとめて帙(むかしのブックケース)にはいったもので十五匁から二十六匁、まあ一万円以上にもなってしまうのはざらである。これでは普通の庶民にはなかなか買えないのである」
春画に関する著書が多数ある、浮世絵研究家の白倉敬彦氏の研究によれば、人気の艶本や春画はもっと高値だったようだ。「普通の錦絵一枚がソバ一杯と同じ値段だといわれていますから、だいたい400円ほど。人気春画はその3~4倍の値段がついていたと思われます。北斎クラスの大物が十二枚組物の豪華な絵を出せば、3万円以上はしたんじゃないでしょうか」
そこで活躍したのが貸本屋だ。彼らは重い荷を背負い、江戸市中ばかりか地方都市へとせっせと営業に出かけた。『江戸繁盛記』には、天保年間(1830年代)の江戸に800軒の貸本屋があったと書かれている。得意先は実に10万人を数えた。
どこへいっても艶本や春画は人気がある。貸本屋は他の本より高値をつけていたというから、ちゃっかりしている。田中優子氏の『春画のからくり』によると、『絵合錦街抄』という艶本の表紙には「見料一日百文」(約2000円)と書かれていた。この価格は芝居見物の一番安い席と同じだから、なかなかのものだ。参勤交代で帰国する際の江戸土産にも浮世絵は重宝された。
※週刊ポスト2011年3月18日号