3月11日に発生した東北関東大震災。震源地から400キロ離れた東京都心にも大きな被害を及ぼし、鉄道はストップ、多くの人が「帰宅難民」となった。
目黒区在住の30代のOL・A子さんもそんなひとりだ。地震当時、A子さんは仕事で神奈川県の川崎市にいた。私鉄もJRも“復旧の見込みが立たない”というのでバスの行列に1時間、タクシーの行列に2時間並んだが、来る気配はない。
しかし乗客の間では長時間一緒にいることで連帯感が生まれていた。飴玉をすすめたり、カイロを分けたり、タクシーが来たときには、
「多摩センター方面に行きますが、誰か乗りませんか」
など、声を掛け合い乗り合う人もいた。しかし、深夜2時になってもA子さんが乗れるタクシーは現れなかった。A子さんは帰宅することをあきらめ、駅前のカラオケ店へと向かった。
「帰宅難民だとわかったのか、店員さんに“個室はありませんが、パーティールームならあります。皆さんご案内しているのですが、それでもよろしいですか?”と聞かれたんです」(A子さん)
フリードリンクで2330円を払い通されたのは20人ほどが座れる部屋。テーブルとソファが5つ。すでにソファにはスーツ姿の男性2人が横になっていた。
「ソファーは硬くて幅も狭く、なかなか寝つけませんでした。後からもう1人女性がはいってきて、4人で横になるともういっぱい。脚も伸ばせなかったんです」(A子さん)
度重なる余震と大音量の地震警報のアラームで不安も重なり、結局一睡もできなかったA子さん。朝5時になると、部屋の電話が鳴り「お時間です」と退去させられ、結局、復旧した電車を乗り継いで帰宅した。
※女性セブン2011年3月31日・4月7日号