砲撃から3か月。島はようやく復興へと動き出した。しかし、米韓合同軍事演習の一環で、3月4日から始まる軍事演習により、再び島は緊張感と不安に包まれていた。そんな中、対岸に北朝鮮を望む“最前線の島・ヨンピョン島”に、サピオ取材班が上陸した。
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砲撃から3か月が経っているにもかかわらず、島の至る所に、まだ砲撃の跡が生々しく残されていた。
その一つが、島の南側にある市街地中心部にある面役場(「面」は韓国の行政単位)だ。この役場の裏手にある倉庫の天井には直径50センチメートル以上の穴が開き、砲弾が鉄骨を貫通した跡が見受けられる。爆風によって吹き飛ばされた窓ガラスも、そのまま残されていた。砲撃直後、逃げ惑う住民の映像が報じられたが、これは役場前にある24時間作動のドームカメラから撮影したものだ。
現場で、映像ではわからなかった事実に気付かされる。
倉庫から通りを挟んだすぐ隣に、小学校と幼稚園が併設されている。つまり、北朝鮮の砲弾は、幼い子供たちの生活圏さえも破壊し、恐怖を植え付けていったのである。
さらに、市街地中心部にも、砲撃の傷跡は残されていた。
市街地の目抜き通りを歩いていくと、10軒ほどが全焼した一画に行き当たる。通りと家屋の敷地の境目には黄色い「POLICE LINE」と印字されたテープが張られ、屋根は砲撃とその後の火災によって抜け落ち、残骸が室内に崩落。棚などの家具が無茶苦茶に倒れている。それが修復も、撤去もされていない。
「このあたりは、島の中の繁華街だったところ。焼け落ちた中には飲食店もありました。魚をいけすに入れていた店では、水槽が割れ、砲撃直後には魚の死骸がそのままにされていました」(地元住民)
他にも、火災によってハンドルやミラー、座席、計器類が溶解したスクーターや、横転した軽自動車など、火災や爆風の激しさを物語る物証が残されていた。潮の匂いに混じっていまだに少し焦げ臭さが感じられる。屋根の残骸のトタンが、海からの風できしむ音が響く。
だが、この被害実態を目の当たりにして、改めて不可解な点が浮かび上がる。
砲撃の激しさに比べて民間人の死傷者が少ないのだ。約1600 人の島民が生活する島で、民間人の死者はわずか2人。その2人も、軍関係の施設の修理にあたっていた建設業者の従業員で、島民の死者はゼロだ(負傷者は46人)。なぜなのか。
すると、これまで報じられていない、こんな証言にぶつかった。面役場で、仁川広域市甕津郡産業チーム長の崔哲永氏は、取材にこう答えた。
「砲撃のあった時間には、たまたま『秋期樹木植栽事業』が行なわれていたんです。島のお年寄りなどに、1日3万5000ウォン(約2500円)程度の報酬で木を植えてもらう事業で、その日は100人近くが参加し、市街地から少し外れたあたりで行なわれていました」
つまり、砲撃の時間帯には、市街地に人が少なかった。
偶然なのか。あるいは、民間人の被害を抑えることで、国際的な非難を免れることができるという打算のもとに、こうした情報を北朝鮮が収集していたのか――つまり、北のスパイが島に入り込んでいたという仮説も成り立つ。
※SAPIO2011年3月30日号